2008年11月30日日曜日

11月30日(日)教室手配

・ 11月も終わった。本当にこの月は忙しい月であった。まあしかし学校というのは「忙しくない月はない」のであって、大きな学校行事がなくとも突然に重大事が発生したりするものである。しかし11月も大変だったが順調に乗り切れた。
・ 企業時代からそうであるが「月度単位」で物事を整理する。一月済めば又一月と言う感じである。「浪速に来てこれで23ヶ月」が過ぎた。早いか遅いか、正直言ってよく分からないのだ。しかしとにかく23ヶ月過ぎた。
・ 忙しいと書いたが「時間的な忙しさ」は全然苦にならない。「時間的忙しさが苦痛な人は教師を辞めたほうが良い」。本校では時間的な忙しさを苦痛に感じているのはいない様子でそこは校長として嬉しい限りだ。「神経戦の忙しさ」が心体に応える。
・ 一昨日のブログで「遅出、早退教員」のことについて書いたが、逆の意味でこれらの人は「時間的忙しさのない人間」である。しかし圧倒的に多くの教員は「自己の時間を削って生徒のために」に頑張ってくれている。
・ その中の一人の教員が「早退は誰にも迷惑をかけていません」というから「そうではないだろう。考え違いをするな」と指導したところだ。「君みたいなベテラン教師が勤務時間内一杯頑張ってくれれば学校は更に良くなる」と言ったのだ。「時間休」というのはやむをえないケースでの「セイフィティネット」であり、「定常的」なものではない。
・ 「個人の事情を優先するか」「公的な正規の職業を選択するか」の択一の問題で「両方で得をする」という訳にはいかない。生徒のためよりも個人を優先させたいのであれば「教師としての根本的な資質」に欠けると言っている。
・ 学校というのは便利なもので家庭の主婦とか介護の親を持っているとかの人のために「授業だけする時間講師制度」というものがある。これだと自分の時間の時だけ来て済めば「さっさと帰れば良い。」「親のところに行こうが、スーパーに買い物に行こうが、腰の痛さのためにリハビリに行こう」が好きに出来る。
・ 正規職員というのは「運命共同体」であり、一人だけが勝手な振る舞いをしていては組織の秩序は保てない。いわゆる「目に余る」という言葉があるが、再三の注意で改善されなければ公立で言うところの「分限免職」という伝家の宝刀を抜く。
・ 「地位保全]の訴えだろうと堂々と受けて立つ。その「覚悟」は出来ている。私は1730名の生徒と140人の教職員を守っていかねばならない。組織というのは意識の遅れている人間を変える努力を惜しまないがそれには限界がある。人間一人の持ち時間は誰でも24時間だ。私も意味のないことに多くの時間は割けないのである。

・ 「同窓会長」からお電話があった。本校の理事を委嘱し「母校が可愛くてならない素晴らしいバランス感覚」をお持ちのお方だ。私よりお年は一回り上である。私はかねてからその人格を敬服している。
・ 会長のお話というのは「来年度の教室は大丈夫ですか」というものである。実は理事は今私以外に6名いるのであるが一人は現役の市長さんだから私が「なにをかいわんや」であるがどうも若い理事を除いて「ITが不得意」だ。まあお年を考えれば仕方がない。
・ それでこの11月から同窓会長にも私のメッセージやブログを朝秘書がファックスするようにした。毎日流れている学校情報を直接校長の言葉で把握することは「外部理事として、また同窓会長」として「お役に立つだろう」と考えたからだ。
・ 最初の日は秘書が朝の7時すぐにファックスしたら「びっくり」されて電話があったので翌日から朝食時の8時30分過ぎとした。大層喜んで貰っている様子でこちらも安心したのである。
・ 同窓会長は来年の「同窓会室」の動向が気になられているのだと推察したが、これについて私は率直に申し上げた。「まだ分かりません。でも今の勢いからすると教室が足らないので昔の教室はすべて復旧」せざるを得ないと。
・ 「学校改革」が評価され昨年は府内トップレベルの生徒が入学してくれた。来年度も今までの中学プレテスト、高校入試説明会の参加状況を見れば幾分数の低下は見込んでも必要な「教室数は5部屋不足」する。卒業クラス数引く入学クラス数で誰でも分かる算数の話だ。
・ この不足の5部屋を今どうするか検討に入っている。英語科や国語科の教材準備室、進路指導室、人権教育室、生徒指導室、女子更衣室、同窓会室など昔教室で今他の目的に改装された部屋を「教室に復旧」しなければ間に合わない。週に木曜日のみ使用の同窓会室は当然その対象である。
・ 来年は何とかしのいでも「再来年はひとつも余裕教室がなくなる」。もう「新たに教室を建設」するしか方法はない。来年度の入学者数が決定した段階ですぐゼネコンを決め工事に着工するしかない。場所は現在の「新館を延長して数教室確保」することを「教員の新校舎検討チーム」は考えてくれているみたいだし私もそのように思う。お金が無いからとにかく「やりくり」が大変なのであろう。
・ 私は会長に申し上げた。余程のことがあって入学者数が減らない限り「8割、9割がた、今の部屋は明け渡して頂く事になるでしょう」と。代替部屋については非常に厳しいかもしれません。今いる生徒や教職員が学び、勤務することが第一で「優先順位から答えは出てきます」と。
・ 80年、90年の伝統校というのは大なり小なり「同窓会館」とか同窓会室を個別に持っているもので「生徒が学んでいる隣の教室」を使っているのは「珍しい」ですよとまで今まで申し上げてきた。
・ 「新校舎が建設」されるときには、ご希望であれば同窓会用に一部屋組み込むから「その予算は出してください」と同窓会80周年のときも8月の総会のときもわざわざ時間を頂いて申し上げた。「学校が学校の予算で私的な団体の同窓会室を設置することは公金の入っている立場では出来ない」と考えている。「同窓会室は同窓会が自らの力で手配するもの」だ。
・ いずれにしても来年の状況は厳しいので「同窓会としても準備」に入って頂きたいと申し上げたのである。場合によっては校内に確保できないこともあるし、その場合は新校舎まで設置できなくなる可能性がある。
・ しかし同窓会事務局役員には本校の教員がいるのである。教室手配の事態は十分分かっていそうなものをと思う。仕方がないので副校長に指示して今週同窓会事務局に「展望」を説明しておくように言った。しかし「不可思議」なことである。
・ 施設保持者で施設管理者の理事長校長に「一回も挨拶さえない事務局の人間」がいることに「いささか憤懣」もあって同窓会長にクレームをおつけした。例えば年に一度くらいは「同窓会の動向とか、1年間の施設借用のお礼の言葉」とか一言あっても良い筈である。それが社会の常識だろうと思うと。
・ 補助金と生徒の納付金で運用されている学校の費用支出先に「一私的な団体である同窓会」に電気光熱費施設損耗など費用がかかっているという感覚がまるでないのだろう。学校は同窓会のものではない。「学校法人と同窓会とはまったく関係ない」。同窓会とは同窓生の親睦と母校への応援だけであろう。学校の経営と運営に協力していただくことは当然である。勘違いされては困る。「その通りです」と同窓会長は同意して頂いた。