2008年11月14日金曜日

11月14日(金)生徒による授業評価 

・ 「生徒による自己分析と授業評価」の方式がまとまった。教務部長から正式に案が出されたのでそれを了とした。12月4日に全校生徒へアンケート用紙の配布がなされ実施される。校務運営委員会、職員会議で最終確認された。
・ 副校長が原案を出し、これを教務部、学年団で議論し学校全体のものになった。とりあえずやることが重要だ。先生方も不安は無いだろう。しかし本校の教務部長のIT技術は大したもので「アンケートの分析ソフト」をこしらえた。素晴らしい。
・ しかしこういうアンケート方式に完成版はない。後のことも考えねばならない。「ヤッタ」というだけでは意味はない。アンケート結果を「どう読むか」が重要である。生徒の心をこの用紙1枚でいかに捉えるかが問われてくる。
・ 学校というところは「アンケートが好き」で良く取るがその分析が得意とはどうも思えない。そしてそれを特定の個人の情報にだけ留めていたら折角の時間と暇がもったいない。「徹底的にデータを味わい尽くす」という心が大切だ。
・ 記名式としてわざわざ「名前を書くことによる不利益はありませんと」とまで書いている。5段階評価で「5はとても当て嵌まる」から「1は殆ど当て嵌まらない」までの「5段階の評価」である。
・ まず「自己分析」の欄には「①学校生活が楽しい」から始まる。この意味合いは深くてこれは「個別の生徒の声無き声を読む」ためだ。まず「学校が楽しい」ということでなければならない。
・ 特に中学は今回対象にしていないが殆どの生徒が学校大好きで早く、早く学校に来ようとしてこちらとしては安全面から心配なのだが、こうでなければならない。楽しくないのは「いじめ」とか「授業が分からない」とか色々考えられる。
「②は塾を除いた一日当たりの家庭学習時間を問う」ものである。「③は予習や復習をしているかと自己分析を問う」ものにした。これがないと自らを振り返らないからだ。先の全国学力調査でも家庭での学習時間が極めて少ない。私の時代の記憶では結構予習や復習などあった。教師もこの点は一度考えねばならない。
・ 「授業評価」欄のポイントは特に「評価できる授業があれば科目名と教員名」、そして「理由」を書いて貰う欄だ。同じように評価できない授業についても問うことにしている。ここが最大の眼目である。
・ 一般的に生徒はこういうアンケートについて好きな教員には優しく書き、嫌いな教員には厳しく書くものだが、当然それを含んでいる。しかしそれでも敢えてこの問いを設定したのはその中から問題の本質を掴みたい。
・ 又今回は「授業の静粛さ」については問うことにしている。私の指示で少し原案を変えて聞く内容を高めた。アンケート結果によっては、問題のある教室には当然調査が入ることになるだろう。
・ 本校の生徒であれば適切に書いてくれると思っている。ただ温度差を極力少なくするために校内放送で校長が趣旨を説明することとした。そして同じ日同時刻に一斉に書いてもらうのだ。
・ 分析が大変だが一度はやっておかねばならない。同時に「学校自己評価」もやる。これは常勤講師以上の全教職員でまずやることにした。学校運営と教育内容に分けて相当細かく自己を分析する。「浪速高等学校評価委員会」が案をまとめてくれた。
・ 大阪府私学課からの指導でもあるし文科省からの通達もある。学校の評価と公開が今後とも大きな流れになる。自分勝手な論理で好きなようなことは出来ないのだ。公金が入っている以上当たり前である。私学課は助成の評価項目だという。やらねば削減されるのだ。
・ 次は「保護者からのお声」をいかに吸い上げるかであるがこれは学年単位で従来より実施しているのだが一回まとめた形で実施したいと考えている。まず「保護者の授業参観」を来年1月に実施する。中学は簡単に出来るが高校は何しろクラス数が多い。しかしそうは言っても生徒個人からすれば重要な問題で「授業料の値上げ」などお願いするには当然保護者の信頼を得ないといけない。
・ 先のブログ「名無しの権兵衛」さんのようなお方もおられる。不満を感じておられる保護者も多い」と謙虚な姿勢が重要である。生徒に用紙を持ち帰ってもらってそこに書いてもらい回収するという方法も考えられるが権兵衛さんのように匿名を好まれるお方もいよう。しかし本当に匿名は当方としても対応に困る。
・ いずれにしても学校は「待ったなし」で次々と新しい企画を持ち込み学校を揺り動かさなくてはならない。そうすることで古い幹や腐った実などは下に落ちる。そのようにして「新しい芽」を育てていくことが必要だ。
・ 植木職人にとって重要なことはどの枝葉を残しどの枝葉を切り捨てていくかであり、私も十分注意しなければならない。浪速はこのような「動き」に遅れをとったが今、私の手で追いつき抜こうとしている。
・ 「何でそんなに急ぐんですか」と最近こそ言われなくなったが、つい少し前にはよく言われたものだ。大体そういうことをいうを言う連中は「改革について来れない連中」である。私は何時もこのように言っている。
・ つまり人間一生の間でやることは決まっている。それを均等にやるか、先にやるか、後でやるかの違いだ。エンタルピーは保存されている。先にやって果実を味わいながら次の作戦を考えるのが良いが、無為無策で日常をむさぼり、あとで苦労するかどうかの違いだと。
・ 「先にやらなかった分、今苦労するのは当たり前」だ。それを「急ぐ」と言われるのは心外極まりない。嫌なら橋下知事ではないが「好きなタイプの校長のいる学校に去ってもらって結構」とまで言っている。大阪府は「夜スペ」とか「百マス計算」の導入とか徹底して「公立学校の改革」に入ってきた。
・ 公立が変わる。どのように変わるかまだ分からないがこれだけのエネルギーを投入すれば何らかの形で変わってくる。それが「自然の法則」だ。私学の付加価値を高めるために今が「乾坤一擲の勝負の時」であると考えているのだ。