2008年11月20日木曜日

11月20日(木)その2:かんしゃく玉2発

・ NHKテレビの「クローズアップ現代」を見ていたら経済評論家の内橋克人氏が「荒廃するマンション」とかの企画でコメンテーターとして出演し何やら訳の分らない左翼的な意見を述べていた。この人、私が公立高校勤務の時代、初めて「進学目標を数値化」して組合とトラぶっていた時に「時代錯誤、売り上げ目標みたいだ」と新聞で批評したおっさんだ。
・ 今日の晩酌は日本酒とした。こういう寒い日は日本酒となる。酒は長浜で買った滋賀県木之本冨田酒造の「七本槍」だ。「入魂厳寒造り」とある。中々旨い酒だった。純米酒であるがこの七本槍という名前が気に入っている。本校で「木村を支える七本槍」は誰かと考えたりしながら酒を飲むのだ。
・ 秀吉が北国攻めのときに活躍した小姓群、福島正則、石田佐吉、木村重成、浅野幸長などの7人の側小姓の名前を取っている。私は寸暇があれば戦国大名ゆかりの場所に出掛ける。この前は安土で「安土城」とか「信長」とかの清酒を買ってきた。
・ 今日は二回かんしゃく玉が炸裂した。私は「仕事から逃げる人」は根本的に許せない厳しいところがある。出来なくとも向かって頑張ってくればたとえ十分ではなくとも許せる。「組織人として基本的にトップの木村が何を評価し、何を求めているか十分に考えなければならない」。
・ 私の「ブログはすべて本校の教職員の為」である。このブログに私が求めていることは120%入っている。これを熟読し頭に入れることで99%は「仕事への対応設計は可能」となるはずだ。これは私の「親切心であり親心」である。
・ にもかかわらず「いい加減に読むというか見るだけ」で何も考えない連中には「ブタに軍艦」みたいなもので意味はないのかと思えば肩から力が抜ける。同時に人間は「自分を変える」には相当なエネルギーが要るのだなと思ってしまうのだ。
・ 朝一番神道科の主任教諭を呼び、「新しい神道科の教科書の進捗具合」について報告を求める。合わせてホームページ上の教育方針を来年4月を目処に改定するから原案を考えるように指示したのだが、彼はブログをしっかりと読んでいるから「すぐ私が何を求めているか」、一言、一発で理解する。こういうところが「この男の凄い」ところだ。
・ ところがだ。2限目某クラブの顧問先生にもう「数ヶ月も前から指示していた案件」の報告に入室してきたが「全く何も分っていないというか分ろうとしないか」どうしようもないレポートでここで一発かんしゃく玉が炸裂だ。要はやりたくないだけの話か深く考えていないのだろう。
・ 資料を作って校務運営委員会で臨時に出席して報告するように指示しても「逃げる」だけでそれは了解をしたが、職員会議では「やってもらう」と指示したのだが、その資料がこの程度で時間をかけているにも関わらず、「何も新しいことがない」ようなものを良くぞ持ってきたと驚くばかりだ。他を調べることもまったくしていない。
・ それを担当管理職も同行して入っている。いい加減なものだ。何で言わないのだ。「これでは理事長にどやされますよ」と。この先生は元来優秀な先生で期待しているからゆえに厳しくした。もっと力を発揮せねばならない。「仕事の範囲に遠慮はいらない」。校長が指示した仕事は自分の仕事である。
・ 午後は別の一件だ。本校の「生徒が読書感想文で入賞」したから「表彰して欲しい」と「鼻を膨らませて入ってきた」がこちらは何のことかさっぱり分らない。その表彰を受ける感想文を見せてと言っても無いのだ。それで表彰しろという。
・ 「かくかくしかじかの大会があり、本校からここにある3名の生徒の作文を出そうと思います。これで良いでしょうか」とまず来るべきだろう。そして「理事長、一人が入選しました」と駆け込んできて「表彰を依頼する」のが手順だろう。当方は全く何のことかさっぱり分らず、いきなり入って来てこういう顛末だ。ここで2発目のかんしゃく玉だ。
・ 大会機関からは私宛の「公式文書」が来ており、どういうわけか私を素通りして直接その教諭がハンドルしていたものらしい。学校とはそういうところなのだ。これには参った。教諭と常勤講師は鼻を膨らせて「やりました」と「お褒めの言葉を期待」してきたのだろうがもし落選したいたら私は一切このような経緯があったことさえ知らないことになっていた。教諭が悪いのではない。長い間そのような学校だったのだろう。
・ 時々事務室にもこのようなことがある。この前は私が出なければならない重要な会議が事務長判断で処理されていた。「厳しく指導した」ところだ。今度同じようなことあったら許さない。今私が安心してみておれるのは高校副校長だけだ。だから信頼できる。中学の副校長は時々「結果として隠す癖」がある。恐らく自分は自覚していないのだと思うが。ここまでは報告、ここからは私の判断でというのは「感性の問題」だ。
・ 今日の高校3年の学年主任は今「カナダ英語研修」の件で走り回っているから10分ごとに部屋に入ってきて「事態の報告と作戦を練る」。理数科の長も進路指導部長も同じように勝手なことはしない。今日は2類と3類の長も節目の報告に入ってくる。これが普通の姿だ。
・ 今日は珍しく3年生の某担任も「某生徒のことで報告」に入ってきた。珍しい。私が校長で組織の長なのだから、基本的に「管理職にこの件は任す」と言ったもの以外「誰にも決定権はない」。校務運営の最終責任者は私である。外部からも攻められるのは校長であり、副校長や事務長や教頭が責められることなど学校では全くない。「責任は一切理事長と校長に帰す」のだ。
・ 何か「私のブログを評論の対象としてみているような考え違いの人」はいないか。教職員に評論を求めて書いているのではない。「私の考えはこうですよ、こういうところが評価ポイント」ですよと親切に言っているのである。
・ 組織人で最も大切なことは既にブログで「報連相」だとかなり詳細に書いてある。「報告、連絡、相談」のことだ。もっとも教師が弱いところだ。自分だけ知っておればそれで事たれりとする20世紀初頭の考え方から抜けきれない人がいるのは困ったことだ。
・ 何時かは一旦ブログは閉止するつもりである。それまでにどれだけの人が組織人として「しっかりとしたビヘイビア」を持つかと言うことだろう。「あなた方にはちゃんと言っていますよ」と私は何でも言える。毎日書く「ブログはその確証」を積んでいるのだとも言える。