2009年1月29日木曜日

1月29日(木)その1:2年前の1月29日

・ 今日は1月29日、私にとって「忘れられない日」である。思い起こすと2年前の今日1月29日に私は全校教職員を集めて「教職員集会」を持ち「浪速改革宣言」をした日である。特別に名誉理事長、理事長職務代理、他の数人の理事にも出席願って「現状認識と改革の方向」について20ページ近い資料を使って説明した日である。この日が「改革の幕開け」であった。
・ 1月9日に着任してあらゆることを自分の目で確認し、資料を読み、一人残らず「全教職員と面談」した。「初動のやるべき」ことをした上で「この日に臨んだ」のである。あれから丸々2年が経って、今はこの4月入学してくれる生徒の教室手配に追われている状況にまでなった。この2年間を思えば「感無量」である。
・ ところで本校はいわゆる「オーナー系の学校ではない」。厳密に言うと「家業として経営している個人オーナー系の私立学校」ではない。しかし設立者とその後の理事長並びに理事各位は「大阪府神社庁長ならびに役員、ならびに傘下の神社の宮司」が輪番で役員を構成してきた学校である。
・ 従って私は何時も使う表現として「実質的オーナーは大阪府神社庁」ですと言っている。これは「未来永劫不変の鉄則」である。校内に「学院神社を擁し神社神道の精神を建学の礎にしている学校」であるから大阪府神社庁は「絶対的存在」である。
・ しかし設立の趣旨がどうあろうとも現在の「学校の形」は「私立学校法」に定めるところの「寄付行為」の細目が全てであり設立者が誰であろうと関係ないのである。要は「現時点の学校法人の理事会と評議員会」が「意思決定」を行うことになっている。
・ 「ファウンダー(設立者)」が誰であろうともそれは「尊敬の対象」ではあるが経営陣に入っていない場合何の権限も有しない。従って「個人オーナー系の私立学校の理事の構成」は極めて重要で「城を明け渡すことのないように」理事会を構成するのも理解できる話なのである。
・ 私は「長い本校の歴史で初めて神社界以外の理事長」である。前任の理事長は市内でも有名な神社の宮司さんで立派なお方であった。お体の具合から私が「後任として招聘」されたのであるが神社界としては「勇気の必要な決断」であったろうと思う。
・ 有力理事であった「大阪天満宮と道明寺天満宮の宮司お二人」が中心となって「三顧の礼」で迎えてくれたのだがそこには「当時の学校の状況にそれなりの事情」があったのである。平成18年12月22日の理事会で満場一致で「まず理事に就任し互選で理事長に就任」した。同時に4月以降は「校長兼務」もその席で決定されたのである。
・ この時に理事候補について「先生がお連れしたい人は2名までは良いですよ」と言われたが私は結局その話はお断りした。2名というのは私を入れて3名が神社界外部からであり、「理事総数7名の過半数4名は神社界で押さえておきたい」と言う当然のお気持ちであったと言える。
・ 今想像するに当時、このお2人のお気持ちがよく分かるのだ。私は「単身で乗り込む」と決心した。誰も引き連れずに「一人で赴任する」こととした。さすがに着任当日は理事長職務代理が「大きなシクラメンの花」を名誉理事長との連名で持って来て呉れたが、30分ほどで「葬儀に出席」と言って帰っていかれた。
・ あれ以来「一人でやってきた」のである。私は「雇われ理事長」で良いと考えたし、この学校は「木村家」とは全く無縁のものであり個人木村の力量を買われての理事長就任であり「単独」の方が「やり易い」とも考えたのである。
・ 神社界4名、外部3名という組み合わせは一見「理屈がある」ようには見えるが当時最も必要なことは「理事会が一枚岩」になることで「セクトにつながる」ような可能性が些かでもあるような理事配置はすべきではないと考えたからである。
・ しかし当然私は「条件」をつけた。学生時代に見た東映映画の高倉健さん主演の「唐獅子牡」のように「ドスを片手に一人で切り込む」のだから「理屈を超えた全面的支援の一筆」と「天満宮宮司の名誉理事長就任、道明寺天満宮の宮司の理事長職務代理就任」である。お二人は固辞されたが、最終的に受け入れて頂いたのである。
・ それから丸々2年が経過しようやく「一息」つけるようになったのであるがまだ先は長い。しかし名誉理事長も、理事長職務代理も心中では当初は「はらはら、どきどき」であったろうが、今は大層喜んで頂いているみたいだ。
・ 私の仕事は「浪速の復活」であり、全てをこの一点に集中して「事なれりの暁」には「理事長職を大阪府神社界のお戻」するべしと考えている。やはり理事長は大阪府神社界の神職のお方が就任されるのが自然だと考えている。ただし「動ける理事長」でなければならない。「お飾り」ではいけない。
・ 形だけの理事長では「すぐに元の木阿弥」に戻ってしまう。「理事会がしっかりと機能」し、「現場」即ち学校の校務運営を監視して「学校長は校務を運営し教職員を監督する」という学校教育法28条第3項を厳格に適用するのだ。校長から「マニフェスト」を取り、期待値が出なかった場合は「校長更迭」をしなければならない。
・ 現在大阪の私立高校で「元気を有している」のは一部の独立系を除けば「大学を有している」学校法人である。例えば賞与一時金の支給月数の多いところはすべてと言って良いほど系列の大学を有している私立高校である。
・ 最近又「学校法人統合」の話が新聞記事にあった。千里国際学園が「関西学院大学グループ」入りすることが報道された。昨年来連続である。北陽が関大北陽に、摂量が早稲田摂陵に、初芝が初芝立命館に、啓光学園が大阪工業大学グループに飛翔館が近畿大学グループにととにかく法人合併、法人統合が次々と発表されてきている。それだけ「私立高校の経営が苦しい」ことが背景にある。
・ 大きな理由は独立系の私立高校で「余程の先行き展望に自信」がないと「やって行けない」という「敗残の恐怖」から、大学グループ入りして生徒募集に繋げ経営安定化を図る狙いがあるかであろう。このことは大変良く理解できる話である。
・ しかし理由はどうあれ、「統合される側、吸収される側、併合される側」の学校法人の理事会側にとっては「辛い話し」であることは間違いない。祖父が拓いた学校を孫の代になって「売り渡す」など今後とも増えてくるのではないか。
・ 「売り渡す」と書いたが実際は「売り渡すのではなくて」、「身柄を手放す」と表現した方がよかろう。お金は動かないものだから。「教職員の雇用を守り」、今入る生徒の卒業までと今後の有り様をお願いしますと言って「白旗を掲げる」のである。
・ もし私が理事長なら「切腹もの」として「責任を痛感」するだろう。今日まで綿々と存続させてきた命がそこで途絶えるのだから「並大抵の神経」でないと耐えられないことになる。
・ 本校は大学を有していない。いないだけに自由に動けるのであるが「将来が磐石」とは言えない。しかし少なくとも私の代で「法人を明け渡す」ことは絶対にしないし有り得ない。若しそうなれば「万死に値する」話しだ。
・ 名誉理事長、理事長職務代理と理事長たる私の3人が元気なうちに「浪速の未来を確固たるもの」にするため、「あらゆる障害」を取り除き「不屈の闘士」で進めていかねばならないと、今日、「二年前の29日」を思い出しながら「更なる覚悟」を決めているのだ。