2009年1月10日土曜日

1月10日(土)ワークシェア

・ 100年に一度の経済危機というか金融危機で「雇用情勢」が大変酷いことになっている。「失業者の大量発生」だ。「派遣切り」などといういやらしい言葉が次から次と出てくる。「非正規雇用」と言う言葉もここ5年前くらいからの話だ。
・ テレビでは「派遣村」とかなんとか言って首を切られた人たちの「ビバーク」場所が提供されたりして「公園で餅をついたりしている有様」は本当に切ないものがある。あのトヨタやキャノンと言った経団連会長会社のグループが真っ先に首を切るのだから「何かおかしい」。
・ 日本の「終身雇用制度」が徹底的に叩かれ、「生産ペースに合わせて労働力を弾力的に持つスタイルの志向」から「派遣業」が改正され非正規職員が増え続けていった。小泉改革の走りであった。各社こぞってその道を走ったのである。
・ 「経済合理性」から言えば当然、景気が悪く,物が売れなくなったら製造業にとっては「人は要らない」のであって調整するのは当たり前であるが、「そこにはもう少し限界までの我慢」が必要と言う意見がようやく出てきた。
・ 経済界からも政府からも「見直し」議論が出てきたのは良いが、「ここは慎重に」検討する必要がある。「国際価格競争力」を失ってしまえば元も子もなくなるからである。そこで「待ってましたとばかり」、「ワークシェアリング」論議が出てきた。
・ 最もこのワークシェアは今回初めての話ではなくて今までも何回も何回も出てきては消えていった運命の代物であった。しかし今回はどうも「本気」みたいなものを感じる。企業出身だけに感覚として分かるのだ。
・ 「仕事を分割して皆で分かち合う」という誠に美麗な言葉だが「当然一人当たりの手取りは減少する」ということが今までは受け入れられず水に流れていったのである。「総論賛成、各論反対」の典型的なものである。しかし中小企業は昔からやっていることではないのか。大きな企業に多いことが問題である。
・ しかし世の中は「スーパーが自社の安い商品揃え」を次々と出し、「デパート」が従来なら考えられないようなディスカウントまがいの品物を売りに出してきた。ガソリン価格は下がり、小麦粉も値段は下がった。
・ 「」はこれからは豪華な何百万もするようなものは「売れなくなるだろう」。加えて「円高」だ。国の価値は上がり、国内の物価は下がり、おまけに政府からは訳の分からない「定額給付金」がそのうちに支給される。願ったり叶ったりだが失業者が増えているのである。「何かがおかしい。」「国の形」が崩れ始めている。
・ 逆説的に言えば正規雇用の勤労者も教職員も今までの給料は「相対的に高い」と言うことなのである。「まずこの点から出発」しないと始まらない。正規と非正規では大きな差がありこれを社会は「格差」と呼んだ。
・ 従って当然格差を解消するためには全体を「ガラガラポンで平均値化」するしか方法はない。派遣切りを止めるには「正規職員の給与水準を下げてその原資で雇用を継続」することは誰が考えても分かる理屈である。これがワークシェアだ。
・ 私は第二段の「給与調整の時代の到来」を予測する。今、私は本校の専任教職員の給与は平均年齢平均年収で800万円前後支払っている。平均年齢は言うまい。これが高いか安いかの議論となる。経済アナリストの森永卓郎氏は「年収300万円で生活する時代」を強調している。要は「生活スタイルの変革」が日本人全体に求められているのである。これは誇り高い教員にも当てはまる話である。「教員は別格」と言う時代ではない。
・ 「教員世界にワークシェアは可能か」ここが重要な議論のポイントである。その前提として学校社会に「非正規教職員が存在するかしないか」であるが、厳密に言えば「存在する」ということだろう。常勤講師と非常勤講師が教員で派遣社員が事務室には存在する。
・ 「教職員団体」は早くからこの「非正規教職員問題」を取り上げ経営側に「是正」を迫ってきた経緯がある。本校でも私の着任時に正式な要望を受けたことがある。その時の「組合への回答」は正式文書だから今でも保存されているが、種々理由を挙げて「一挙には解決には行かない。」とした。
・ 組合の主張は「セイムワーク、セイムペイ」で「同一労働には同一賃金を」というスローガンであったが主体は「常勤講師問題」即ち「常勤講師を正職員にすべし」と言うものであった。
・ 確かに常勤講師は専任教諭と同じ業務をこなし基本的に処遇差は月度単位で見れば大きく差異はない。従って「賃金レベル」が大きく異なるようなものではないし、「賞与」も同じ月数分である。何が違うかと言うと「1年契約」ということだけである。
・ 生徒には同じように当たり専任教諭は65才まで保証され、常勤講師は1年契約というのは確かに「辛い話し」であることは理解できる。しかし私立学校の最大の問題は「明日は我が身?の宿命的な変動要因」を抱えていることである。
・ 未来永劫同じ数の生徒が毎年毎年入学してくれるのであれば常勤講師を保有する必要はない。すべて専任教諭の方が経営側にとっても「有難い、やり易い」ことなのである。生徒には「全てが先生」であるが「ある先生は定年まで、ある先生は来年はいるかどうか分からない」では基本的に良い話ではない。
・ 私学助成費が10%から25%削減され少子化の中で「公立私立の比率7:3」が今見直されようとなった時に、生徒数減になった場合のことも考えておく必要はある。それが私の仕事だ。
・ 個人的には「一族郎党の身内で教職員を固めたい」がどうしても現状では「助っ人的、バッファー的要員配置」が必要となってくる。しかし今回の社会の動き,即ちワークシェア議論が具体化してくると学校現場にもその内「新基軸」を打ち出さねばならないかも知れない。
・ 新基軸とは何か。それは生徒数が減少したときには「持ち時間を減少」させ、その浮いた時間分を正職員化した人たちに配分して「仕事をキープ」することである。そうすれば常勤講師はすべて専任化可能である。
・ 当然「持ち時間が減った分の給与はダウン」となる。ただその翌年生徒数が増えた場合は専任一人当たりの持ち時間を増やして対応してくれれば「給料はアップ」することに成る。私は今「常勤講師問題の解決と持ち時間・生徒数連動の給与方式の可能性」について頭に思い描いている最中だ。これを私は「給与持ち時間変動相場制」と名づけている。
・ 問題は現時点での専任教職員がこの「変動相場制」を受容できるかどうかだろう。恐らく専任教諭は「自分の取り分は確保」しておきたいと考えるだろう。しかし常勤講師は「是非導入してください。変動相場制を受け入れます。講師などの不安定な身分よりかは専任教職員として身分が安定する方が嬉しい」となるのかどうか。
・ いずれにしても「微妙で難しい問題」であり、ややこしいのは「公立私立全ての学校の問題」だからである。本校だけの問題ではない。公立などは私学以上に条例や人事発令上の手続きもあり至難に近いのではないか。
・ 本校には昨日の日記に書いたように脳天気に「簡単に持ち時間を減らせ」と言ってくる考えの浅い鈍感な教員もいるので、こういう「高等な話」は理解できないのではないか。本音は「減が希望なら持ち時間はゼロ」にしても構わない。しかし給料は支払えない。退場してもらうことになるだろう。そうすれば代わりに若い常勤講師はすぐに正職員になれるのだ。「持ち時間を減らせというならいくらでも減らす」。その分給与を減らすだけだ。
・ 考えても見よ。世の中は仕事が無くて路頭に迷う人が大量に発生するなど日本が過去経験したことがないような事態が発生している。そういう中で「高給取り」が「勤務時間内に10分程度の朝読書の為の生徒の観察作業」に大きなコストロスを経営に要求するか。勤務時間外ならまだしも時間内の話である。もうボツボツ「意識を変えよ」。