2009年11月11日水曜日

11月11日(水)明日は天皇陛下のご即位20年





















・ 「あれから20年」が来ようとしている。昭和64年1月7日午前6時33分「昭和天皇」は十二指腸乳頭周囲腫瘍のため皇居の吹上御所で「崩御」された。87歳であられた。この日のことは今でも鮮烈に記憶している。晴れてはいたが寒い日であったと思う。
・ 当時私は製鉄所の熱延工場長という役職にあり、まさに希望に燃えた働き盛りの43歳であった。製鉄所の中では最も大きく重要な工場で直接の社員の部下の数だけでも600人、関係協力会社の人を含めれば1000名を超える大所帯のトップで、「やりがいのある仕事に燃えに燃えていた時代」であった。
・ しかしその時、「昭和天皇陛下」のご病状の回復の兆しは無く前年末から新しい年を迎えたが、お正月以来ご重篤との報道であった。この日も作業服に身を包んで自分の席に座りラジオを聴いていた時に崩御の知らせを耳にしたのである。
・ 私の「朝が早い癖」はこの製鉄所勤務以来である。朝7時までには「夜勤」が明ける社員を迎えるために工場長としては6時には出勤していた。製鉄所と言うのは基本的に365日24時間休みと言うことは無い。「組織のトップは誰よりも早く職場に行くもの」だ。私はそのように思っている。
・ そしてこの日「皇太子明仁親王」が直ちに皇位を継承され「125代天皇に即位」され年号を「平成」とされたのである。平成の元号は中国古典から「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」の思いでつけられたものである。
・ 「あれから20年」である。「ご在位」と「ご即位」と言う言葉があるが、微妙であり間違わないようにしなければならない。今全国のあちこちで「天皇陛下ご即位20年」の「祝賀」「奉祝」の行事が進められているが今年1月7日には神社界でも「ご在位20年」を寿ぐ祝賀の会を催した。
・ そして今「明日の11月12日をご即位20年」としてお祝いする運動が進められている。11月12日と言うのは平成2年「即位礼正殿の儀」が行われた日であり、かって11月12日を「天皇陛下ご在位20年を記念する日を休日とする法律」が超党派の議員連盟で進められてきたが法案そのものは解散により廃案となってしまった。
・ この間政権が民主党政権に変わり、11月12日までに法案成立とは行かず、この議員連盟には民主党も国民新党も参加していたが社民党は参加していないため今の「連立与党」で意見がまとまるとは思えない。
・ 11月5日の「衆議院予算委員会」において自民党の保守系若手論客の追及に対して鳩山総理は今月12日のご即位記念の日には「全国の公立学校で国旗を掲げる閣議決定」を覆さず、方針変更をしないことを明言した。これは注目しなければならない。 果たして結果はどうなるか。
・ 産経新聞が4日に発売した「学校の先生が国を滅ぼす」という本には丁度今から「10年前ご即位10年」の際の「国旗掲揚を巡り組合教師らが執拗に妨害」を繰り返す大阪府内のある学校の実態が生々しく記述されている。産経の記事である。
・ その冒頭の書き出しは“天皇皇后陛下ご在位10年の祝賀の日である11月12日(金)、私は国旗を粛々と掲げるために午前5時に出勤しました。午前6時30分誰も出勤してこない時刻に私と教頭は国旗を持って屋上に上がり、掲揚台にいつでも上げられるように国旗を取り付け、教頭をその場に残して校長室に戻りました。”
・ 何故学校の校長が5時に出勤するのか。「職員会議」で深夜まで吊るし上げが続き閣議決定や教育委員会の指示は簡単に反古にされる。糾弾的な討議を拒否すると「話し合いを拒否した」と逆に騒ぎを大きくする彼らの常套手段である。
・ “午前8時23分組合役員が国旗掲揚を阻止するために校長室へやってきました。私は先日明言したとおり「会いたくありません。話し合う必要はありません」と断り校長室のドアを占めて施錠しました。”
・ 「組合役員」が大声で叫び面会を求めるが校長は携帯電話で屋上に残った教頭に掲揚を命じる。上がり口には実は組合教員が座り込んで屋上に入れないようにしているのである。
・ “午後2時頃組合分会長が「抗議声明」を持ってきましたが私が校長室から出ないので教頭に手交し、「日の丸は誰が掲げたのか」と抗議しました。”
・ 糾弾はその後むしろ大きくなり、校長室に鍵をかけたことを組合は文書で抗議してくるし、反論すれば今度は「反論自体が非難の対象」になる。これらも彼らの「常套手段」である。
・ “祝賀の日に国旗を掲揚するというごく普通のことをするのにこれほどの大騒ぎをしなければならない学校の現実を世間の人はどう思われるでしょうか。実に嘆かわしいことですがこれが公立学校の実際の姿なのです。”
・ 以上の手記は「大げさ」でもなんでもなく今でも「実際の姿」である。卒業式に国旗を掲揚せず国歌の斉唱の無い学校はまだ山ほどあるのである。府教委と現場の校長の指導と頑張りで高校につては大分改善されたがそれでもまだ残っている。
・ 国旗の掲揚とは会場正面の壇上の掲揚することであるが大阪の高校の多くは国旗をまだ「三脚に指したま」まそれを壇上においてそれで掲揚したとする「詐欺まがいの行為」を放置しており、大阪も然りである。それは掲揚ではなくて「格納」であると私は主張している。
・ また義務教育の学校の実態はものすごいのではないか。最近聞いたある中学校では「国歌の前奏部分をカットした曲に編曲」して、ただメロディを流すだけで勿論音楽の時間に「国歌」を教えることなど最初からない学校もあるらしい。
・ 「今上陛下は今の憲法で即位された初の天皇」である。昭和天皇は違う。憲法第一条は「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であってこの地位は主権の存する国民の総意に基づく」と書いてある。
・ 陛下ご自身が「象徴とはどうあるべきかということは何時も私の頭を離れず、その望ましいあり方を求めて今日に至っている。」とのお言葉を4月に述べられた。その陛下も来月には76歳になられる。 バブルの絶頂期とその瓦解、その後の「失われた10年」そして「雲仙普賢岳噴火」「班神淡路大震災」そしてこの「不況」である。少子高齢化は進み、この20年に15人の総理大臣である。毎年変わっている計算になる。このような時代を陛下は「国民を慰め激励」されてきた。
・ 戦没者の慰霊を行い20年で32カ国の親善訪問をされまさしく「象徴天皇」として私は素晴らしい「天皇像」を作られてきたと思う。今本当に陛下や皇后様に「違和感」を有している国民がいるのであろうか。何が天皇制反対だ。ふざけるなと言いたい。
・ 今朝の新聞各紙は大見出しで「邪馬台国」論争を終結せしめそうな「纏向遺跡」で「卑弥呼の宮殿跡」発見と真偽はともかく幾分興奮気味であったが、この時代の前から続く「万世一系の皇統」を繋いでこられた「我が国でかけがいの無いご存在が天皇陛下」である。「日本歴史を勉強」して欲しい。日本という「国柄」をもっと理解して欲しい。歴史認識と歴史的事実とは異なる。
・ 「天皇陛下は日本という国の形の根本」なのである。こういう国は世界にはない。明日はしっかりと「国旗を正門に掲揚」し、「ご即位20年を寿ぎ、天皇陛下皇后陛下のご長寿」をご祈念申し上げる。
・ 本校は「神社神道の学校」として皇室と縁の深い伊勢神宮をご祭神とし毎年「伊勢修養学舎」を56年間続けてきた学校である。校章は「八咫の鏡」を形どり、制服のエンブレムは「三種の神器」をモチーフに頂いている学校である。全校生徒と教職員こぞって陛下のご即位と平成の御代の続くことを祈念申し上げたい。明日は「生徒朝礼」がある。生徒に伝えなければならない。