2009年11月3日火曜日

11月3日(火)映画「沈まぬ太陽」




・ その国の「キャリアフラッグ」と言って国を代表する航空会社というのは国際化の中で「象徴的」なものである。日本では「日本航空」いわゆる「日航」と言ったり「JAL」と言ったりする。幾ら「全日空」が頑張っても「」と言うものがある。少なくとも今までは「別格」なのである。
・ 私は「ずーッ」と「日航一筋」であり、その恩恵から「JALグローバルクラブ」のメンバーにならせて貰っている。言ってみれば「応援団の一人」と思っているが最近の日航、良い話はまるでない。
・ 飛行機に乗れば乗務員の人たち、感じの良い素晴らしいサービスを提供してくれているのだが、会社としては結局ここ20年、一向に「上昇気流」に乗るというわけには行かず、JALは「低空飛行」で「遂に落下した」感じである。
・ とにかく最近の新聞はこの日本航空の話題で持ちきりであり、結局銀行団の支援を得られず「政府主導で再建」と決まったがこれは実質的には「倒産」したと同じことである。私は何か象徴的なものを感じるのである。
・ アメリカでは民主党オバマ大統領が誕生し「アメリカを象徴する自動車産業のゼネラルモータース」が倒産した。そして日本では同じ名前の民主党の鳩山総理の誕生で高度経済成長とともに発展してきた日本航空の倒産だ。まさしく「自由世界をリードしてきた日本とアメリカのその国を代表する象徴産業の倒産」はまさに「世界の潮流の変化」を感じる。

・ こういうタイミングで日航を舞台にする映画「沈まぬ太陽」が封切られた。「忙中閑あり」で時間を見つけて鑑賞に出かけたのである。その昔この小説が出たときにはベストセラーとなり全5冊の単行本を一気に読んだのが今から8年も前頃か。
・ 「1985年8月12日18時24分JAL123便大阪行きが群馬県御巣鷹山に衝突した事故」には私は特別な思い入れがある。大阪と東京に本社を有する会社に勤務していた私はこの航空機事故で長い間お仕えした上司を亡くした。業務出張には大変便利な便でこのとき会社全体で4名もの犠牲者を出した記憶がある。
・ 亡くなられたのは部長級の幹部社員で現場捜索に私の直属の上司が会社代表として加わり、ご遺体発見に相当の時間を要した。当時製鉄所勤務であった職場に「歯型」とかとの問い合わせがあったりで、それだけ痛ましい事故であった。その後、その先輩は決して捜索の状況を他に漏らすことをしなかった。

・ 小説も長いものであったが映画も長くて3時間22分もあり途中で「インターミッション」と言って「休憩」があるのだが「飽きさせず」映画としては「素晴らしい出来」である。
・ しかし御巣鷹山の事故の「状況と背景」を良く知っているものには耐え難い映画であるし、「嘘の映画」だと断言する。「大ヒット」というから多くの人が映画を観られると思う。小説もベストセラーであったから今回の映画公開で完全に「フィクションがノンフィクション」になったと思う。
・ すなわち「嘘が本当になった」のである。このようにして「虚構が真実に塗り替えられていく」のかと思えば私は「空恐ろしい」気がするのだ。小説発表の時から「物議を醸したストーリー」で、名誉を汚された日航は作者と発行元の新潮社を相手に訴訟騒ぎとなりこの「番外編」の戦いも社会問題となった。
・ JALは週間新潮を機内から撤去し機内誌とはしない措置を取るなど大騒ぎとなったのである。そこに週刊朝日も参戦し新潮と朝日の紙上論争など私は覚えている。小説を読んだ当初は「なんて酷い会社だ」などと単純に思ったものだが、同時に「何かおかしいな?」という疑いの気持ちも有していた。今はこの小説に関してあらゆる書物が存在し「余りにも酷い作り話」とされている。
・ それは一般的に言って小説や今回の映画でもそうなのだが大きな会社の「意思決定」のあり方は「書かれている、描かれているような」ものではないということである。何か従業員100人程度の会社の話かと思うような「お粗末限りない」場面が余りにも多すぎるのである。
・ 「 作家の山崎豊子さん」は日本を代表する大変立派な小説家である。大阪生まれで現に堺市にお住まいである。京都女子大学を卒業し、新聞社勤務を経て作家デビューを果たし、「花のれん」で直木賞、「ぼんち」「女の勲章」「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」「大地の子」など本当に素晴らしい作品を世に出されてきたお方である。
・ 山崎さんの手法は「徹底した取材と聞き取り」で現に存在する対象なり事件に焦点を合わせる。社会の暗部や不条理をえぐり取るテーマ設定をされることで有名である。「小説は事実よりも奇なり」を字でいくように実際の事件をドラマティック性で進展させていく手法は著者によれば「新しい小説の手法」といわれている。
・ そこが人気作家の由縁であるが、そこには余りにも事実とかけ離れた作者独自の思惑を入れるものだから出来上がったものは、「事実と嘘話の混合」で形はノンフィクションだが内容はまったく異なるフィクションとなる。
・ 読む人、観る人は読んだもの観たものがフィクションなのにノンフィクションとして、すなわち「事実」として頭に心に刷り込められていくのだ。文句を言えば「まあ小説だから」との一言で笑って済ませることは当事者には受け入れられない話だと思う。「頭に来る」と思う。「怒りに体が震える」のではないか。
・ 「善と悪」が太い線で区切られ、主人公と日航の会長が余りにも「評価され、賞賛され過ぎ」である。日航の経営陣と政治家の「アホ振りと無責任、親方日の丸体質」については認めるとしても主人公の「過激な労働組合闘争至上主義」が結果として今日の日本航空を誘引した視点などはどこにもない。
・ 日本航空の経営問題はまさしく「労働組合問題」なのであり、これに対して適切に対応できなかった経営陣と政治家が根本原因である。ストライキを打ち、会社の屋台骨を揺り動かした労働組合が今に続く日航の経営問題である。
・ 日本で最後の最後まで残った経営の構図である。鉄鋼労連、自動車労連、電気労組も時代の変革に合わせて進化ししてきたが日本航空だけは「空を飛んでいる」だけに「地上の様子に疎い」と見える。一旦会社を清算して全てをご破算にしてやり直すしかあるまい。
・ JAL123便で犠牲になられた520人の方々に申しわけないではないか。決してこの映画を喜んではおられないだろう。余りにも嘘が多い。死者に対して極めて不遜である。最後の最後に字幕で「これはフィクションです」と小さく書いてあっても、こういうやり方はないのではないか。