2008年9月20日土曜日

9月20日(土)その2:体罰考「懲戒規定」

・ 私の観察によれば「体罰は愛の鞭」ですというのは「嘘」である。100%と嘘とは言わないが「冷静にここで一発張らないと、こいつには分からない、こいつの為だ」と愛情を持って体罰に出る教師は居ないと思うが果たしてどうだろうか。
・ 昔「体罰全盛時代」には逆にそのようなケースもあったかもしれないが、今や「体罰は駄目」とほとんどの教師が知っており、「鼓膜が破れるかも知れないがここで一発・・・」とか「唇が切れるかも知れないがここで一発・・・」とか覚悟してする先生は居ないのではないか。
・ 平成7年福岡地裁の判例では以下のようにある。「法はもとより当時の校長も体罰を禁止していたが、被告は「建前に過ぎない」と考えて安易に力に頼る指導をしていた。動機は被害者の態度に誘発された私的で短絡的な怒りの感情で、我を忘れ・・・」とある。大体この判例のような状態が一般の体罰の状況ではないか。私はそう思う。
・ しかし上記判例には続いて以下のような文言がある。「しかし、熱心な教師として被告を慕う卒業生もおり、酌むべき事情もある。・・・。」とこの死亡体罰事件には卒業生まで繰り出して「情状酌量の作戦」で臨んだのであろうが、体罰で生徒が死んだことには変わらない。
・ 大体体罰を起こすのは「真摯で熱心な教師」であるか、あるいは「教室を自分の王国と考え、完全に君臨し生徒はとにかく言うことを聞かせるために押さえつけるか、熱心さとは幾分異なる“偏狭な偏屈な幅の極めて狭い人間性で引き起こす教師」と二つのタイプがあるのではないか。今日では大体後者が多いと私は考えている。
・ 体罰を考えるときに「素晴らしい論文」があり、弘前大学教育学部の安藤氏と埼玉大学大学院の小菅氏の考察であるがこれから我々は多くの知見を得ることが出来る。学生の体罰体験の時期は「中学生時代」が34.7%、ついで小学校高学年が32.7%、「小学校低学年」「高校」の順になっている。
・ 体罰を受けた場所は「教室」が最も多く、43.8%、ついで体育館、「廊下」「職員室」「運動場」とあるし、その他には「修学旅行先」「遠足先」「生徒指導室」とある。体罰をした教師では全体の80%が「男の先生」となる。
・ ついで年令では男女を問わず「40代が40.7%」と最も多く、ついで「30代が34.8%」、「20代」「50代」となる。又「担任の先生」が最も多く、その他「部活やクラブの先生」「体育以外の教科の先生」「体育の先生」「生指の先生」と続く。頭で想像するものとこれらのデータは大体一致する。
・ 体罰を受けた時に「どのように思ったか」については全体では「頭にきた、悔しかった」が最も多く、ついで「悪かったと反省した」が14.4%、「恥ずかしかった」が12%、「先生が嫌いになった」が10.4%と続いている。中には「自殺をしようと考えた」とか「殺してやろうと思った」というのもある。最も多いのは「痛かった」というものである。しかし問題は「精神的苦痛」を引きずるか、後になって出てくることである。体罰で「先生の愛情を感じた」とかいうのは全くない
・ 本校は長い間「男子校」で諸先輩から伺う話は「体罰などの言葉などなかった。「目に余ればバーンと口より先に手が出た」とか「部活の道具でお尻をどつく」とか今では「伝説みたいな話」はよく聞いた。
・ しかし今の浪速にはそのようなことはない。ただ共学になって4年、「女生徒の指導はどうも難しい」と感じている教員は多いみたいだ。「女生徒指導のノウハウ」も積み上がっていないし、微妙な時に対応してくれる女性教諭も数が少ない。それで昨年は女性の常勤講師を増やしたし10月1日で教諭に採用する先生3人のうち2人は女性だ。
・ 私の方針として「生指ができないような先生は不要」と広言しており、教科指導の前提として「日常生活習慣」が極めて重要であるとの認識に揺らぎはない。大体今まで教科指導だけで生きてきている先生など見たことがない。「出来る先生は両方出来る」のだ。
・ 教え方の上手い先生の授業では生徒は静かに聞いているもので、大体運動部、文化部部活動を熱心にしている生徒は「めちゃくちゃな行動」をとる生徒はいない。確かに体罰必要論者の意見には聞いてみる価値もあるのだが、それでも「体罰を許すまでには行かない」というのが私の考えであり、今の社会の通念だと思う。
・ 本校の例ではないが電車や街で私でも時に「頭にくるような生徒のけしからん態度」に出くわすことがあり、「何ーッ」と思うことがあり、日夜生徒に接している教員の気持ちは分からぬではないがやはり「手を出してはいけない」。
・ しからば「どうせよと言うのか」であるが、「心と言葉と懲戒規定」しかない。義務教育の先生方と話をすると「高校は良いですよ。伝家の宝刀があるではないですか」「義務教育は退学には出来ません」そこが根本的に違いますと言われる。
・ 要は「懲戒規定」を「抑止力」として使えるというのだ。ある面において的を得ている。高校にでもなれば「自己責任」くらいは概念として持っており、「単位が取れねば落第」「規則を破れば懲戒」になることは高校生は知っている。
・ 体罰ではなくてまず口で言って聞かせ、限界を超えたときに「懲戒」がある。懲戒にも様々な段階があり、この運用で大きく変わってくるものである。本校では今その実践をしている。「服装、茶髪、化粧等」他の」校則違反だ。
・ 授業中ピアスをしていようが、イヤホンをつけて授業に出ようがまず口で指導し、駄目なら生指補導会議にかければ良い。一挙にびんたを張るなどは「考えられない行為」である。問い詰めたときに「はい、申し訳ありません」とすぐ謝る生徒と「頑強にしていないと言い張る生徒」と「嘘を言って抵抗する生徒」と3種類に分かれる。まず事実を確認してから「どう処分するか」はその後の話だ。
・ 仮にその場で「バーン」と張り、怒り納まらず職員室に連れてきて、そこでも「バーン」と一発するのは「私的な怒りに満ちた行為で教育活動とは一切認めない」と私は断言する。そういう教員は「首」にするしかない。大体やる人間は何回もやるものだ。
学校教育法第11条を知らないという教員が半数いるそうだが「まさか」と思う。本校の教員は本日のブログ2編を徹底的に頭に入れなければならない。