2008年9月29日月曜日

9月29日(月)中山成彬前国交省大臣

・ 「天皇陛下御在位二十周年をお祝いする大阪府民の集い」のことについては既に触れた。もう少し関連する話を書き足そうと思う。当日は特別講演として「高千穂神社宮司の後藤俊彦先生」による「皇室と伝統文化」の素晴らしいお話があった。
・ 後藤先生とは夕刻の祝賀会では同じテーブルにして頂いたこともあり、良くお話を伺ったのである。高千穂神社は言うまでもなく「天孫降臨の地」として名高い日向の高千穂地方にある。創建は「垂仁天皇の御代」であり平安時代からは中央の記録にもしばしば登場する由緒ある神社である、まさに「日本書紀、古事記の神話街道のお社」なのである。場所は「宮崎県」。宮崎県と言えば今話題の中山大臣と東国原知事だ。
・ 後藤先生は丁度「中山大臣の一連の発言」が大問題になっていた時でもあり、「ウーン、困ったものですね。宮崎では中山さんよりも奥様の中山恭子さんの方が地元には大変評判が良い」とお話になっておられた、ついでに東国原知事のことは大阪の「橋下さんと違って言葉を選んで」お話されると大層褒めておられた。
・ 連日連夜「中山報道」でマスコミは大変な書き方、報道の仕方である。この視点から各紙を眺めてみると面白い。各紙当然のことながら「批判的」な記事であるがいささか驚いたのは「産経の取り扱い」だ。厳しい。
・ 産経は朝日に対峙した保守系の論陣を張ることで知られているが、今回の中山発言には「距離を置いて、突き放して」いるように感じた。いささか意外であった。「彼を擁護する論調では真の保守派の識者に申し訳が立たないのと産経が逆に叩かれることを恐れた」のかも知れない。これに対して読売はニュアンスとして「些か異なる感じ」がある。
・ 今朝の読売の社説の見出しは「節度を欠いた発言だった」とだけある。中身にはまず冒頭の文章は「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」ということだろうから始まる。書き方に何か「優しい感じ」がしないか。
・ そして中山氏は「国旗国歌も教えない」「道徳教育に反対している」などと日教組を批判した。的を射ている点があるとしても・・・・。と言う具合だ。この「的を得ている」と書いてある点に私は着目している。
・ 同じようなコメントは大阪府の橋下知事も出している。「ある面、本質をついていますよね・・・・」という発言が報道された。これについてはマスコミも批判は抑えており、次の「クソ教育委員会」みたいな言葉を待ち受けている感じに私は捉えている。橋下知事の次の失言をまっているのだ。
・ 「日教組をぶっ壊す」という発言が問題で、個人なら良いが国交省大臣としては「いけない」というのも私には分かりにくいが、又「所管外」だし、「確信犯」がいけないということか。良く分からない。
・ まず中山氏は「保守派の論客」ではない。このような短絡的な話をするような人を「論客」とは言わない。日本には保守派の論客は山ほどいらっしゃるが中山氏は保守系の政治家に過ぎない。言ってみれば地方村町市議会の議員から国会議員まで多く居る自民党の政治家のお一人である。
・ 又「失言」と書いているが失言ではない。「思い込んでいる自分の主義主張の話し」に過ぎない。最後の方は気持ちが高揚して辞任覚悟で「連発」したのだろうが、事実と異なる部分は修正すれば良いのであって政治家として「確信ある思想信条を自分の言葉で喋る」ことが「政治家の政治家たる所以」だと私は思うが・・・」。所管など関係ない。
・ いずれにしても日教組の「左翼的思想傾向への批判」は根強く、このような思想性の強い団体が教育と言う営為に直接関与することを危険視する人々からは「今日の教育荒廃の元凶」「教育改革の抵抗勢力」とか言われてきているのが「社会の実態である。」
・ 東京杉並区の山田宏区長は「自分たちの権利だけを主張している日教組はすでに保護者から見放されており、そのような態度を改めない限り組織率低下もこのまま続いていくだろう。日本の教育が悪化した原因は日教組にある」とまで言い切っている。しかしこのことは問題となっていない。区長と大臣の違いでもあるのか。
・ 特に許されないのは「政治活動」だと言う人は多い。最近では山梨県教職員組合が2004年の参議院選挙に向けて「校長、教頭を含む小中学校教職員から選挙資金を集めていた」ことが産経新聞にスクープされ一大騒動となった。山梨教委が委員長ら19人を処分した事件は記憶に新しい。
・ 未だに「ストライキを打つ組合」も珍しいのだが北海道教職員組合の労使協定を巡る反対闘争、査定昇給制度に反対しての時限ストもあった。これなど昔の話ではなくて今年の1月30日に起きたストライキなのである。
・ 2006年の教育基本法改正案を巡る反対も記憶に新しい。「国を愛する心」「日本の伝統尊重」を盛り込んだ改正教育基本法には全国で署名運動を行い200万筆を集め、労働組合や市民団体と一緒になって「教育基本法改悪反対」とデモを繰り返し、国会前での座り込みなどを行った。
・ この集会には全国から多数の組合員が参加したが「授業のある平日」に行われて、社会からの批判もあり、別の教職員団体の全日本教職員連盟からも「国会の後ろで座り込みをやったり、デモをやったりするのは本来の教師の姿ではない」と批判の声も上がっていた。
・ 典型的な運動テーマは「卒業式における国旗の掲揚と国歌の斉唱問題」である。未だに反対する勢力が存在しており、その理由は「憲法が保障する思想信条の自由に反する」として「内心の自由論」だけで済まず、「生徒への間違った指導や不起立指導」など卒業式シーズンの毎年行事となっている。
・ 日教組が「御用組合的体質」だと指摘する話は多く、現場教員の殆どが加入している組織率の高い都道府県では組合役員を経験することが管理職や教育委員会への登用など「出世の定番コース」となるような民間企業張りの労使協調路線もどきの事例もある。身近な府県の事例を調べてみたらすぐ判る話で「昔組合の闘士が今は校長先生」などの事例は日常茶飯事である。私でもすぐ何人もそのお名前を挙げられる。
・ 中山国交省大臣の言い方と事実誤認はいけないが、日教組のあり様を考察した時に「ある面、本質をついている」と評した大阪府の橋下知事の見方は間違ってもいないのではないか。中山大臣は極めて頭の切れる人で、このような人にありがちなように「前略、中略、結論のみ」の人に多い「言葉足らず」だったと思う。確信犯、確信犯というが、犯罪はいけないが政治家は「確信的なことを喋らないといけない。」確信的なことを言うことは悪いことではないと私は思う。
・ マスコミもこの際「問題提起をされた」と考えて「全国学力調査の開示、非開示」ばかりに焦点を当てず、日教組が最初からこの調査そのものまで反対している背景にメスを入れ、「戦後の教職員団体の功罪を国民世論を喚起して議論」してみたら良いのではないか。中山大臣は最後は「そのことが狙いだった」とまで言っているのだ。