2008年9月22日月曜日

9月22日(月)秋季例祭

・ 久しぶりに良い天気となった。今日は「秋季例祭」の日である。「極めて重要な学校行事」である。正式に神職をお呼びして学院神社は完全な装いというか形を決める。周辺には幔幕が張り巡らされ高い幟旗が4つもたなびき、神輿が鳥居の前に飾られ、神聖な空間が作られる。こういう学校は日本全国、本校以外には無いだろう。
・ 従って教職員の服装も「正装」となる。正装と言ってもネクタイと上着着用だ。女性教職員はそれなりの服装となっている。それは神職が正装で「斎行」されるのとご来賓はすべて「略礼服」を召されているからだ。斎主は最近では市内の「坐間神社」神職にお願いしている。その前は「住吉大社」からお出まし頂いていた。ある程度の期間が経てば「ローテーション」で替わってもらうことも一つの考えだ。1社に限れば「ご負担」になる。年末の理事会で図ろうと思う。
・ もう随分と昔のような気がするが「昨年は熱中症事故」で本当に大変だった。今思い出しても汗が出る。着任して半年少し落ち着き始めた頃だったから「先行きの苦難」を感じたものだ。しかし今日は気温が少し低いし、風もさわやかに感じる。それに朝1限からの式典とした。昨年は3限授業して式典としたのが失敗だった。
・ 年に2回の例祭の時くらい授業は無くて良いと思うようになってきた。「少し甘くなってきたのかと自分自身に反省をいれる」のだが2年連続熱中症事故を出すわけにはいなかい。「念には念」というところだ。
・ 例祭の後は「浪速祭の開式宣言」を行い、生徒は明日への準備に入る。祭式の後は必ず「直会」というものがあるが、生徒には「ノート」がプレゼントされる。教職員には昼食用の仕出し弁当を取る。何時もの「寿司弁当」だ。大したものではないがまあ形だ。
・ 手水を使った後、来賓が着座。私は「祭主」として先頭に座る。この時「大太鼓」が鳴り響く。剣道部の部員が太鼓を打ち鳴らす。「報鼓」というらしい。その後「修祓」から正式な斎主の祝詞等本格的に式は進む。
・ 「玉串」は私と高校の自治会長、中学の生徒会会長が続く。今年から時間短縮で来賓は大阪天満宮の宮司、本校名誉理事長を代表として奉奠して頂いた。神社のお供えは昨日から事務室が用意したものである。その他理事長職務代理、同窓会長、PTA会長などが列席される。
・ 「五穀豊穣」を祈るため海の幸は「大鯛」、40センチはあるような大きなもので後は野菜果物などが並ぶ。今日はじっくり見たが本当に多くの種類が並んでいた。まさに山海の珍味と言いたいところだ。変わったところでは「ゴーヤ」があったな。勿論お神酒は欠かせない。
・ 司会は神道科主任教諭だが今日は上手く進行できたとは言えない。大体神社前がまったく見えない壇上から掛け声をかけても揃う訳がないではないか。何故そのときには壇上から降りないのか、そこが分からない。もっと「頭を柔らかく」しなければならない。
・ それにしても「雅楽部の演奏」は益々良くなる。部員も増えている。今日は初めて中学生の女子が「鉦鼓」と言うのを演奏していた。借り物だという。いずれ求めることになろうか。澄み渡った空に雅楽の雅な音がこだましていく様子はまさに冷厳な神域を作っていくものだ。
・ 例祭が終わった後は「第42回浪速祭開会式」というのがある。まず私の挨拶に続いてPTA会長がご挨拶される。そして自治会長が高らかに開会を宣言し浪速祭が始まるという具合だ、しかし実際は各教室などの飾り付けや「模擬店」の設えなど明日に向けて準備に入る。
・ 模擬店だけでも凄い数だから今日から電気工事会社が入り「特設の電気工事配線」がなされる。生徒は喜んで準備に入っている。家庭科教室を使いたいと言ってきたそうだがこれは「教務部長」が断固拒絶したそうだ。「見識だ。」
・ 新春拝賀始業式に特別に誂えた舞台が組み立てられていく。ここが「野外のステージ」で明日は軽音学部が終日使うのだろう。崩れてはならないので私が直接組み立て具合を見にいったのである。
・ 名誉理事長、理事長職務代理から玉串料、初穂料を頂いた。それにこれは記録に残しておかねばならないのだが、なんと前理事長で堀川戎で有名な堀川神社のH先生が「ひょこり」とお顔を見せてくれたのである。「驚き、そして感激」の一瞬であった。
・ 予告もなく突然のご訪問で「宮司になって30年となった。節目の時」であり、今日は吉祥の日として「奨学金に使って貰いたいと寄付金」を持参されたのである。嬉しい話だ。2年振りである。お体の不調も快癒されてきたということで、とてもお元気そうであった。私は全教職員にお気持ちをお伝えしますと申し述べたのである。
・ 全て終わって来賓もお帰りになった。静かに余韻を楽しんでいたら浪曲の三原師匠から「大層なギャラ」にびっくりしてお礼の電話があった。PTA会長も涙が出たと言っていましたというと又電話口で喜んでおられた。今後先生のPRに学校の名前を出して良いかと言われるのでまったく問題ないとお答えした。
・ 春野恵子氏と菊池まどか師の「ギャラ」について「それとなくお教えした」がこれまた驚いておられた。このお二人のギャラ交渉は三原先生から学校でして欲しいといわれたので担当のM教諭が当たったのだが、実態は「言値、即ち先方要望」を100%受け入れたものであった。
・ 三原先生は「びっくり」されていた。本当なら座元の私に対して「これこれ頂いたのですか、受け取って宜しいんでしょうか」と聞きにくるくらいあっても良いのではないかと先生は言われる。まだ3年や4年での浪曲師のギャラではない。私など「芸道60年」という気概が電話口から伝わってくるようだ。
・ 怖いなー。「芸の世界の厳しさ」だ。昨夜も先生に気を使って若い浪曲師はおちおち食事も喉を通らなかったのではないだろうか。先輩後輩のこのような厳しさは学校社会には全くない。それでも一昔前までは合った様子だが今は逆に若い方が「偉そうにしている時代」となった。昨日のブログにも書いたが「タクシー券」を頂いて車で宴会場にくるなど「10年早い」ってところだろう。僕はこういう場面が大好きだ。「趣味が悪い」と時々言われるが。