2008年9月2日火曜日

9月2日(火)その1:宰相の器

・ 「福田首相が退陣を表明」した。「なんともやりきれない思い」だ。1年で2回も総理が「政権をホッポリ投げる」なんて国は聞いたことがない。海の向こうのアメリカではマケインとオバマ候補が次の大統領を目指して元気一杯に国を二分して戦っていると言うのに「我が国は一体どうなるのだろう」。国際的にも「物笑い」だろうと思う。私は日本人として恥ずかしい。
・ 9時過ぎに帰宅して「たけしのテレビタックル」を見ていたら突然画面が変わり、「総理の緊急記者会見」になった。ライブ中継であった。色々な成果を上げて喋ってはいたが完全に「行き詰まり」であり、にっちもさっちもいかなくて「放り出し」である。最後まで「他人事」みたいな感じが拭えなかった。
・ 野党が言うことを聞かなかった、積年の課題に忙殺された、と言っておられたが元々「なろうと手を上げて成ったお人ではない」。悪徳不動産業者みたいなお顔をした派閥の長に押されて「貧乏くじ引いたかも知れないよ」と嘯いてなった人だ。「覚悟」というものがない。「国家でも企業でも学校でもトップの覚悟が重要」だ。
・ 結局この総理は「発信力が全くない」お方であった。だから国民の支持率が上がらない。高かろうが低かろうが「もっと自分の考えをどしどし出せば」良いのにそれをしなかった。質問した記者に「あなたと違って私は客観的に自分を見ることができるんですよ」が確か最後の言葉であったがこれは「逆切れ」である。
・ 前安部総理が突然投げ出した時に派閥の長に担がれて「福田さんは出てきた総理」であり、「自らが奪い取るような」ものではなかったから、このように簡単に手放すことができるのだろう。1ヶ月前には「改造内閣」が発足したばかりだ。ある新聞は「総理の器ではなく、秘書課長的」だと書いていたが、小泉内閣の官房長官どまりの人だったと私は思う。それにG8でも70歳を超えて最長老だ。とにかく物言いも「年寄りっぽい」。
・ 私は「中曽根元総理を高く評価」しているが、この人は「若いときから総理を目指し、何時も勉強していた人」で、中曽根内閣から「戦後日本の総決算」が始まった。今の「教育課改革の原点」は中曽根「臨教審」からスタートしたのである。この人の「言葉には力」があった。
・ 自民、公明のリードする国政は停滞し、やらねばならないことは山積しているが遅々として進まない。野党の民主党も「何を具体的にどうしようとしているのか」分からない。最早中央政界は「溶けて流れ始めた」と言える。しばらく溶融状態が続くだろう。
・ 「地方分権」を進めて地方でできることは地方でするようにしないと国は機能不全に陥っている。「役人天国」「中央省庁官僚内閣制」「でたらめ国家行政機関」年金も医療も教育も拉致問題も消費税問題も原油高問題も食品偽装も居酒屋タクシーも、一生懸命働いている国民には「堪らない怒り」が湧いてきている。今日になっても世論は厳しい。「無責任極まりない」と言った声が大勢だ。
・ こういう時代に私のやる仕事は「浪速を守る」ことだ。「塁壁を強固」にして侵入する敵を防ぎ、「閉じこもるだけではなく討って出る」ことも必要だ。時に頭を垂れて「嵐の過ぎ行くのを待ち」、「内部に力を蓄える」ことも重要だ。「変幻自在の身の軽さと深い洞察力が必要」だと言い聞かせている。
・ 本年良かったからと言って来年も良いとは言えない。何時何が起きても不思議ではなくなった。本当に大変な時代が来た。こういう時にはやはり「リーダーの力」が最も重要だ。「力強いリーダー、発信力のある指導者」だ。私は心して責任を全うする。「浪速を投げ出したりはしない」。
・ 福田総理と対極にあるリーダー橋下知事は例の「全国学力・学習状況調査」に開示についてまだ怒り狂っている。新聞報道によれば「府教委、開示を拒否」と知事に返答したとある。頭にきた知事は「何時も府教委は逃げる。しないなら府教委の小中学校課は廃止だ」と言っているらしい。知事は「再検討を求める」とまだ粘るらしい。この騒動はまだまだ続くだろう。
・ 「面白いではないか」。福田総理にも橋下知事の持つ、このような面があれば「国民を味方」に出来たのかも知れない。内閣支持率の向上のためには「この人は何をしたいのか、何を言いたいのか」分かり易く話さねばならない。小泉元総理や橋下知事はこれらが抜きん出ている。
・ あるテレビのコメンテーターが次のように言っていた。昨日総理は防災訓練で岸和田市に来ており、「福田総理と橋下知事が並んで立っていた様」から発信力のない落日の総理と発信力の強烈な知事の姿から「日本の政治の転換期」を見たというのだ。
・ 私も強調したい。政治を変え国を変えるのは「既存の秩序にいる人間ではもはや、無理で全くの外部からのしがらみのない人間しか変革は出来ない」。橋下知事や東国原知事もそうだ。安部さんも福田さんも2世議員だ。彼らには改革や推進力などないことを国民は思い知った。戦後60年経って中央も変わり始める序奏が始まった。そういう意味では良いこととも考えることが出来る。
・ 問題は「浪速の将来のリーダー」である。「誰が私の後をするのか、させるのか」それが大問題である。調整型、合議制でいけるほど世の中は甘くはない。「しばらくは強烈なリーダーが引っ張っていかねばならない。」今いる人材の中から「浪速のリーダーは育つのか」そこが私にとって最大の課題だ。
・ 「勉強しなければならない」「見識と覚悟を有していかねばならない」「不退転の決意と突破力が必要」で「なにより自分の言葉で発信することの出来る」ことが重要である。「泣いて馬しょくを切る勇気」「時に情に流される優しさも必要」であろう。「公平無私」は前提だ。
・ そして「言葉で勝負できる人物」でなければならない。福田総理ではないが「可哀想なくらい苦労してるんですよ」とメディアの前で泣き言をいうような人では駄目だ。自分の言葉で「喋ることの出来る人物」がリーダーには必要だ。石原都知事は「言葉が貧困だ。何時辞めるかと思っていた」と切って捨てている。
・ 社会の流れを読み、「意味のないことはしない覚悟」が必要だ。「時に流れの中から次の一手」を考えていかねばならない。そして「健康でなければならない」。出来れば「明るいキャラ」クターが良い。以上のような人材を探し育成していくことが私の仕事の重要な部分となるだろう。「発信力と破壊力と統率力、そして理論武装ができる勉強家」が必要である。
「経営と運営のバランス感覚」が必要なことは言うまでもない。本校に現在いる専任教職員はこの意味するところを徹底して感じている筈だ。何もしないで現在の浪速があるわけではない。「この1年半を忘れてはならない」。丁度福田総理の1年と私の1年を振りかえって今つくづくと思うのである。