2010年1月24日日曜日

1月24日(日)多聞幼稚園のこと






















・ ゆっくりとした日曜日となった。仕事始め以来一日も休みは無く「中学入試」多くの教職員には土曜日、日曜日はなかった。今週から「高校の願書受付が始まる」ので又神経を使う日々が続く。そういう意味で今日は多聞行きメンバーを除いて「束の間の休息日」となった筈である。ゆっくりと静養して欲しい。
・ 高校で志願者が2600名となったので受付ルームも教室を改造し、男女別に分けて行う。絶対に「入力ミス」があってはならない。「受験票」と一致するものだから間違いがあっては大変なことになる。
・ ところで今住んでいる住居から「真東に生駒山麓が見え、朝は「陽の昇る光景」が素晴しい。「神々しいばかりの日の出」で私はこの太陽を見て「今日も頑張ろう」という気になる。「朝日に映ゆる」という具合である。
・ 朝日に映ゆるといえば「多聞幼稚園」のことを思い出す。平成20年10月千早赤阪村との買収交渉の過程ではこの旧多聞幼稚園について「含めるか、外すか」悩んだが、当局は「小学校とまとめて購入して欲しい」との意向でもあったので、最終的にはそのように結論を出したのである。
・ その理由は相当「老朽化」しており、床など「ペコペコ」し、今にも抜け落ちそうであったり、建物全体も古くて、当初はこれを打ち壊し「新たに宿舎を建設」することを考えていた。2階は女生徒用、1階は男子生徒用、それに教員用宿舎と浴場のセットで新築しようと考えていたのでる。
・ しかし「投資圧縮」を考えて「行けるところまでここを使おう」と決断し、まず床は全面的に補強したのである。平屋建てなので男子宿舎とし女生徒用は本館の2階の教室を宿泊場所として男女分離も図った。
・ そして中国から「木製の3段ベッドを輸入」した。あらゆる販売店を調べ最も安価であったのである。女生徒用は天井高さ制限や安全のこともあり2段としている。この男子3段ベッドは生徒には好評で、何か「夜行寝台列車」みたいなノスタリジックな雰囲気があるのだろうと私は推察している。
・ 旧多聞幼稚園を廃園とし時の碑」が宿舎前面にあるが「わか楠の 夢見るに峰に 朝日映ゆ」との立派な御影石の碑がある。平成12年に統合で廃園になったものである。楠は楠木正成公の楠をかけていることは間違いない。
・ 昭和34年開園で述べ卒園生は320人強だから当に細々と生き抜いて来た幼稚園である。私たちはこの多聞幼稚園の心を引き継ぎ「夢を追い求めて、実現のための努力」をする必要がある。今朝の日曜日、「昇る朝日」を見ながら私は強くそのように思っているのである。

・ 昨日の土曜日、多聞では「化学の集中講座」が開かれていた。大体基本3科目である「英語・国語・数学が定番メニュー」であるが私は社会や理科も望んでおりこのように間に挟んで実施してくれると大変嬉しい。
・ 理科や社会科は点を取ろうと思えば取れる科目であり生徒には「バランスよく学習」して欲しい。しかし英語や数学に時間を取られ、大体「何時かやる、やるといって時間遅れ」になるのが理科と社会である。
・ 今年の「センター試験では日本史がやはり群を抜いて得点」していた。これは多聞尚学館の成果の一つである。社会科のH先生の大きな成果である。「やれば出来る」ことが完全に証明されたのである。

・ ところで多聞尚学館に行くルートを昨日は変えてみた。すなわち「泉北から堺南区の校外グラウンドを見て河内長野市を抜けて多聞尚学館に至るルート」を学校車のナビを頼りに試みたのである。
・ 堺カントリークラブの横に「細い抜け道」があり中里というところに出るがこの道は狭いし余り推奨できるルートではなかった。時間も余分にかかったのである。一旦「泉が丘」まで戻った方が良いかもしれない。
・ それにしても「堺校外グラウンドは改造工事が始まった」ときであった。一日一日と様相が変わっていき、素晴しい校外グラウンドが完成するだろう。まず隣地との境界を明確にして「フラット」な台地を作らねばならない。
・ 見た目は「たいら」でもでこぼこや勾配が付いておりまずこれを「ならして」、それから「防球ネット」を立てていくことになるのだろう。「楽しみ」である。私は「このグラウンドのネーミング」をどうするか今考えているところである。

・ 「全てが順調」であるだけに私は強く意識して「謙虚に、謙虚に」を自分に言い聞かせている。今年1年の終わりには「新武道館」「校外グラウンド」が完成し昨年の「多聞尚学館」と合わせて「教育トライアングル」が完成する。
・ 何とか今年も生徒が確保できそうな状況となってきた。「この状態が続くことが新校舎建設の絶対的条件」である。「財布の中身」を数えながら進めているからである。「後5年、後5年が勝負の時間」である。「浪速の21世紀を決める重要な5年間」となる。
・ まず「学校のガバナビリティ」である。「マネージメント」である。それは「私が全責任」を持って進める。私の方針を理解し「陰日なた無く仕事をしてくれる教職員集団」になれるかどうかである。少なくともこの3年間それが実現できたからこそ、ここまで来れたのである。
・ まず「管理職人事が重要」である。そして「分掌人事」である。「適材適所」「新たなポジションで自分の幅を広げて貰う」ことを念頭に人事を決めて行きたい。「原則一仕事3年」を目途に当てはめを考えていきたい。
・ 多聞幼稚園の碑「若き楠 夢見る峰に 朝日映ゆ」ではないが、「若き先生方に期待」している。幕末の太陽「坂本龍馬」」の大河ドラマが始まっているが変革の時は若者がリードしていかねばならない。歴史はすべてそうだった。20代,30代の先生が先頭を走って欲しいのだ。
・ 「革命」「革新」「維新」「改新」などは「若者の専売特許」ではないのか。私は「バランスの取れた世代交代」を図っている。「一騎当千の老・壮・若の組み合わせ」である。口だけの人間は本校には要らない。自分の持ち場をしっかりと守り、高めて欲しいのだ。
・ 今の常勤講師の先生がたから将来の浪速にかけてくれそうな先生を「専任教諭」になってもらい益々活躍してもらう積りである。良い先生ばかりだから私と副校長は「苦悩」しているが最後は私が決めるしかない。今年は「どの線でラインを引く」のか悩ましい。一度に多くは選別できないからである。しかし「整理解雇」せざるをえない学校のことを思えば「我々は幸せ」ではないか。