2010年1月28日木曜日

1月28日(木)高校2年生校長講話
















・ 今日は高校2年生への「校長講話」の日であった。年に一度の「校長の授業」と言っても良い。6限に全員を体育館に集めて床に「べた座りでリラックス」させて話を聞かせるのである。私はくだけた雰囲気が好きだ。
・ 学年主任には体育館は寒いので「マフラー」など暖房用のものは構わないからと言ったのである。後1ヶ月で遅ればせながらの「修学旅行」が待っている。元気で行かせてやりたいのである。
・ まあ校長の話と言っても「頑張れ」というくらいにしか中身はないのだが、それでも「校長の肉声で生徒に語りかける」ことは「意味あること」と思って着任以来続けているのだ。どうせ頭には全ては残らないだろうが、頭のどこかに一言でも響いてくれれば良い。
・ 私は必ず自分で作った「レジュメ」を用意して臨む。校長だからと言って資料なしの口頭のみの講義では今日の生徒に訴えるには無理がある。だから私は資料を作る。本日のタイトルは「今この時を大切に・・・志を持て」とした。A4版2枚である。
・ 2年生に言うことは「3年生を目前にして自覚を持て」という内容であるが、生徒たちは「社会の仕組み」とか「就職」とか「会社とは」とかの話になると幾分「真剣なまなざし」をする。
・ そういうことをしゃべれるのが私の「強み」で学校の先生方は「企業社会のこと」は知らない。数学や英語など教科のことはよく知ってはいても大切なことは「社会に送り出すための基礎基本」であり、学校教育の大きな目的もそこにある。
・ 大体高校2年生がもっとも「弾ける」学年で、これが4月以降3年生になれば途端に「大人になる」から不思議である。将来のことを考え始めるのであろう。ところが高校1年生が今度は2年生になって「自分たちの時代が来た」と弾けるから学校の雰囲気は基本的には変わらない。
・ 新入生は「最初は大人しい」が時間が経過するにつれて「変貌していく」。その変わり目は「夏休み後」である。「ころツ」と変わると行って良いかも知れない。中学生から完全に高校生に切り替わるのである。本当にこのような生徒たちの変化を観察していくのは面白いのである。
・ 今、願書受付に来ている中学生たちの「なんと可愛いことか」。でもこれも後4ヶ月後には「昔の面影、いま何処」となるのである。最近私は「私学の頑張らねばならないことは生徒生活指導にある」と考えるようになってきている。
・ 勿論最大最重要な眼目は「学力」であることは間違いない。ここを外したら「学校の意義」は無いからだ。家でお父さんやお母さんが数学や英語や古典を教えることは出来ない。だから学校があるのであって「生きていく力に学力・知識を基にした判断力」が必要なことは間違いない。
・ 「学校は学力だけではない」ということに考えの重みが移動しつつある。これは特定のグループが言うような「学校は教えるところではない。子どもたちがやるのを支援する」などの「寝言」を補強する意見ではなくて「団体規律」「社会規範」「日常の生活習慣」などを「しっかりと教えて行く」ことが重要な私学の「アッピール」になると考えるようになったのである。
・ 「やんちゃな生徒」を「根気良く」教えていかねばならない。「愛情を持って」厳しくすれば生徒は分かってくれるし、将来そのような先生の指導を「分別が付く年頃」になって「あの先生は正しかったし、良かった」と分かって来る筈である。
・ 元々本校は「生指には厳しい学校」として名をはせていたが、今日若い世代の20代、30代の先生が増えてきて、これらの先生群は「ゆとり教育世代の走り」であり、「個性尊重でもてはやされた世代」でもあった。
・ 私は今世代交代を進めているが「一方では本校の良さの継続」を忘れてはならないと思っている。おかげさまで「生徒生活指導の浪速」の精神は受け継がれてきている。ベテランはその点「上手い」のである。
・ 「キャーッ」とヒステリーを起こして生徒を追い込むことだけが生徒生活指導ではない。「軟投も剛速球」も投げられなければならない。このブログにも何回も書いてきたが「生徒生活指導が出来ない先生」は困る。しかし「失敗はあって良いから失敗から学ぶ」という姿勢が必要である。
・ しかし若い先生は、当たり前であるが人生経験も足りず「教科指導」も「クラス経営」も「分掌業務」も「保護者対応」もとなったら、楽な仕事ではないが「ここをまず乗り越えないと教職としての価値」はない。そんじょそこらの「兄ちゃんや姉ちゃんが先生になっている」と言われかねない。「高度専門職」なのである。
・ 「生徒生活指導部門は最も勉強になる分掌」である。保護者と連携し「生徒の内なるものに迫る」という心理背景への研究は大いに「教師としての人間性を大きく広げる」と思う。時には「泣いて馬しょくを切る」こともあるだろう。
・ 生徒を前にして立てば「本当にやりがいのある仕事」だと感じる筈だ。教職と言う仕事は「麻薬みたいに体を心を痺れさせる」のではないか。そこを感じることが出来れば「教師としての誇り」とあれは「私の教え子」と胸を張って言えるのだと思う。
・ 一斉参拝、朝礼、そして始業式、終業式、入学式、卒業式、そしてこの校長講話が私が生徒の前に立てる機会である。そんなに多くは無いだけに私は「この一瞬を楽しむ」のである。そして「校長としての重大な責任」を改めて再確認し、自分自身に言い聞かせているのである。
・ 今日の講話の最後は例によって「校長の歌の披露」だ。「締め」である。今日の曲目は舟木一夫の「高校3年生」とした。昨日学年主任が探して持ってきてくれたものである。拍手、手拍子、声援ありの盛り上がりの中で私の仕事は終えたのである。