2010年1月29日金曜日

1月29日(金)学校の組織化











・ 日本経済新聞の1月25日朝刊に素晴らしい内容の記事があった。何が素晴らしいかというと勿論書いてある中身であるが、教育現場の捉え方が「素直で且つ正視」しているからである。「正しく現場の実態を捉えている」と言って良い。
・ 見出しは「自ら考える教師育成を」「学校改革で進む組織化」「学級作り関心薄く」とある。早稲田大学の油布佐和子教授の論文であるが一言で言えば、「校長の権限強化や教員評価制度の導入など学校現場の組織化が進む」と「逆にやりがい」を感じる教師が増加していると調査データを使って説明されているのである。
・ 油布教授の研究グループは「教職の専門性と教師文化に関する研究会」で1995年から定期的に全国調査をしたものである。教育改革の始まる以前の95年、改革幕開けの99年、そして現在に焦点を当てて「一連の教育改革が教師の仕事に何をもたらしたか」を明らかにしているのである。
・ 大体世の「教育評論家」と称する人々や昔、教師だった人、昔校長だった人などの意見は私に言わせれば「科学的」ではないことが多い。それは「自分の経験」でしか「ものが言えない」からである。
・ その点大学教授の発表する意見は「大学人らしく」、「データを重視」し、「論考を深めている」から「信頼に足る」のである。教育改革が教師の心情に何をもたらしたかという視点が良い。油布先生は元中学教諭のご経験があり実践的な新進気鋭の社会教育学者でその書物は大変参考になる。
・ 教職員団体は基本的に「学校改革」「教育改革」に反対である。理由は良く分からないが反対なのである。しかしこの論文は逆に学校改革が進み組織化が図られてくると「やりがいがある」と感じる教師の数は増えていると報じているのである。
・ 従来の「鍋蓋組織」を転換して「校長権限の拡大や組織マネージメントの考え方を導入することの優位性が今回の調査で明確に認められた」と先生は断言されている。昔は伝統的に「学校目標はすでに定められています」と言って金科玉条のごとく何年も同じ内容を「実際は何もしないのに」目標として語っていた学校が減少したという。
・ その代わり「校長の学校経営の基本方針」が定められるようになった比率が増加している。従って面白いのは以下の文章であった。“職員会議の内容は管理職が中心となって事前に協議する学校」が大幅に増えて運営方針や経営方針を論じるなどの比率はダウンし今や「行事計画の打ち合わせに重点」が置かれているという。
・ 全く今の本校の状態と同じである。本校では今や職員会議の時間が短くて「時には拍子抜け」するくらいである。これは別に意識してテーマを外し急いで進めているということではない。ネット上に「掲示板」を設け事前にそこに貼り付け、「全員が情報を共有」しまずそれぞれが認識し、「考える時間」を十分取っている。
・ まず何より「校務運営委員会での議論が盛ん」で大筋そこで方向が定められている。それに職員会議では校長方針が極めて明確に「徹底して説明」されてきているからである。職員会議は全員の「ベクトルあわせ」と「意思結集の時間」と変化しているのである。
・ 毎回毎回、時間を取って「グチャグチャ」議論するようなテーマが学校現場にそう有るわけではない。教員社会は意識無意識に「職員会議で誰かの提案」を事前の深い洞察や研究など無くて「思いついたままに意見ではない、単なるしゃべくり」をしていることに気づかないのである。
・ 職員会議で「あれこれ思いついたままに発言すること」が「民主的」と錯覚ししたところがある。だから職員会議では結局何も決まらない。それが「校長提案」だったりするとまず一回や二回の職員会議で決まるはずもないからである。それが「組合員提案」だったりすると「すんなり」決まったりするから不可思議なものである。
・ 教員の仕事は忙しいが「それは忙しい人もいる」ということであって全ての教員が忙しいわけではない。まず専任教諭や正教諭のやることは「若い世代に仕事を振る」「正職ではない講師の先生などに業務を振る」のが実態の姿である。
・ 特に常勤講師などは何とか「認めて貰って正職員になりたい」から「黙々と笑いながら振られた仕事にかかる」のである。「哀れな話」で切ないものだ。ところが学校が組織化されるとベテランと言えども「サボるわけには行かない」し、「評価で給料が下がるのは嫌だから」、ベテランと言う世代も仕事をせざるを得なくなったのである。
・ この新聞記事にも確かに「繁忙感はあるが教師になって良かった」と思う比率が増加し、「やりがいがある」と答えた教師も95%を超えて過去2回の調査時と大きく変わっていると言う。
・ 多忙で慢性的に疲れを感じているが「教師になって良かった、やりがいがある」と答えている理由は一体どこにあるのかと油布教授は論考を進めている。分析の結果、「子どもの人格のあらゆる部分に関われる」とか「生徒に自分の人生経験や人生観を語る」ことではなくて「学力を中心として教える」「学力をつけてやる」というコミットメントがやりがいに繋がっているといわれるのである。
・ 同僚関係も変化し「学校を離れてもインフォーマルに付き合う」ような日常的な交流や同僚と教育観や教育方針について話し合うというものから「互いの授業を見たり指導に意見を述べ合ったりする」「組織構成員としての交流」に変化したと書いてある。
・ 私はこれらの記事を読んで「我が意を得たり」と満足した。まさしく本校の学校改革が進捗するにつれて見えてくる光景がこの論文の教育現場の観察と問題の視点とそっくりなのに驚くと同時に嬉しくなるのである。
・ そして教授は最後に「このように組織に適合的な教師の増加を手放しには歓迎できない」とされ、その理由として「判断や決定を組織の上位に委ね、自ら教育のあり方を構想することの出来ない末端技術者としての教師が増える」書いておられる。「末端技術者的教師」ですぞ。こういう表現は分かり易い。
・ そのために「子どもの実態に向き合っている教師同士が互いに状況を共有し、議論を重ね、社会・時代の変化に敏感でありつつ、広い意味での文化伝達の役割を担うことが必要であり、そのために考え、行動する教師の育成と学校現場での条件整備が求められている」が結言である。
・ 以上の最後の4行は本校の教員は胸に叩き込んで欲しい。私は「考え、行動する教師を育成」するためにこの3年間やってきたようなものだ。私の人生はほぼ先が見えてきている。しかし20代、30代の先生方は「これからの時代を浪速の教育現場で生き抜いていかねばならない。新しい浪速教員文化を創造して欲しい」のである。自ら考えて欲しいのだ。