2010年3月1日月曜日

3月1日(月)ラストスパート




























・ いよいよ「年度末の3月」である。マラソンで言えば最後の5キロ、5000メートルとすると最後の直線400メートルというところである。今日は一日ということで「一斉参拝」の日であったが高校1年生と中学生は「期末試験」が始まるから生徒は教室で起立して「学院神社に遥拝」するスタイルであった。
・ 私が修学旅行の見送りで留守なので代表参拝は副校長にお願いした。朝8時30分には「新大阪駅」に着き団体の待合場所で教員や生徒に合流したのである。200名を超える生徒が「東京グループ」であったが、皆定刻には揃った。
・ 元々この修学旅行の生徒の服装は「制服であるべし」という声も教員からはあったのだが、私は「修学旅行くらいは自由服で」としたもので、教員は生徒の服装を心配していたようであるが、指導もあって「まあ今日的な高校生のスタイル」であったと思う。恥ずかしいような者は居ないところが「本校の生徒の素晴しさ」である。
・ 生徒は自由服であるが男性教諭は私は関知していないが「申し合わせ」で背広にネクタイとしたそうだ。素晴しいことである。勿論女性教諭はそれぞれ思いの服装をされていた。外部から見れば本校の本当の姿が教員の服装から分かるであろう。
・ 気づいたのであるが女生徒はほとんどが「ブーツ」であった。温かいのであろう。男子は様々であったが「新しいスニーカー」が目立った。保護者が可愛い子どもに新しい靴を履かせてやりたい」という親心なのだと思った。
・ 私は修学旅行の見送りは7回目であるが中々良いもので喜ぶ生徒の顔を見ると修学旅行の持つ意義などが感覚として体に入ってくるのである。私は携帯マイクで生徒に見送りの言葉として「激励」をするのである。ここではゴチャゴチャ校長が注意事項などは敢えて言わないのがコツである。
・ チリ沖の大地震で津波の心配があり昨日は状況が大いに気になったが「天、未だ浪速を見捨てず」で北海道、沖縄、そしてこのグループ東京行きも全くトラブル無く一人の欠席者も無く集合したと電話連絡が入ったらしい。一人の欠席もないのは珍しいらしい。その報告を受けて安心したのである。
・ 今回は昨年の5月に出発1週間前になって「新型インフルエンザの大騒動」が勃発し、これに「引きずられ、やむなく泣く泣く中止を決断」したものである。加えて「泣き面に蜂」で、旅行会社から「ハイ、貴方の学校は補償の対象ではありませんのでキャンセル料を支払ってください」と本当に今思い出しても「腸が煮えくり返り虫唾が走る思い」をさせられ、あれから10ヶ月待っての再チャレンジであっただけに殊の外私はこの学校行事が、「とげ」のように心に刺さっていたのである。
・ 発注した旅行会社は今テレビや街頭のチラシ広告などで有名な「新興」の「HIS」さんである。一般の旅行会社としては実績の十分ある立派な会社である。しかし「教育旅行」ではそれほど経験があるとは思っていないことは十分知ってはいたが、私は「思い切って605名全員の旅行企画を特命発注」したのである。
・ 当初は心配する動きもあったが今日などの動きを見ていると「きびきび」とし大阪支店の正社員総出で対応してくれており「雰囲気が相当に良い」のである。彼らも大阪支店で初めての、それも大型の修学旅行を手がけるということで「気合が入っている」のが良く分かった。結構である。
・ この11月には1年の間に2回目となる「海外修学旅行でニューヨーク、パリ、ドイツ」旅行を、これまたHISさんに発注している。何としても今回の旅行を成功させて次回に結びつけるよう現地に来ていた責任者に私は申し上げたのである。
・ 冗談でもないが「営業努力ゼロ」で浪速の修学旅行を指名で全部受注できたということは何時でも「ディスクオリファイ」されるということであると私はHISさんには申し上げている。「プロの仕事を期待したい」のである。
・ 私は新大阪を9時45分に発ってJRの関空特急「はるか」で関西空港に向かった。約1時間である。月曜ということもあり、昨今の橋下知事ではないが「殺風景な、閑古鳥の鳴く」関空で「北海道行き」のグループの待合場所に赴いたのである。
・ ここは240名の生徒で人気のコースである。どうも今日的高校生は観光だけというよりスキーやスノボーなどの「体験型が人気」である。「フライトはANA」でここでもJAL日本航空の姿は見えない。ANAの美人の顧客係が待合場所に来てあれこれ気を使ってくれているのも「さすが」である。
・ 「飛行機の中で食べるお弁当とお茶パック」が配られた。列の上から生徒が順繰りに次から次と仲間に渡して行き何か、「難波グランド花月」に入館していくおばちゃんの団体みたいな様子で私は一人で微笑んだのである。
・ 12時過ぎ生徒がゲートに入る前にバイバイして学校に戻る。南海電車に乗り、泉佐野駅で普通から区間急行に乗り換え、堺駅で降りた。「駅のラーメン店でそそくさと昼食」を済ませ、タクシーで学校に戻ったのである。
・ ぎりぎり13時25分「校務運営委員会」。私は先週の「卒業式の素晴しさ」とそれに対応してくれた3年生の学年主任や委員に感謝の言葉を述べ、来年に繋げるようお願いした。特段大きな話題は無かったが入試広報室長から直近の「専願入学手続き者の報告」があった。
・ 一次、1.5次、内部進学合わせて「新記録」となったということである。嬉しいニュースである。「公立高校の授業料の無償化という状況下」で「本校専願数値が過去最高値」というのは「信じられない嬉しいニュース」である。
・ 「校外堺グラウンド」の担当が入室して正門の設計、クラブハウスなどの案を持って来たが「イメージが違う」と差し戻したのである。後々後悔のないように、他校の専門家に笑われないようなものを作らないといけない。私は先頭に立って設計する。
・ すでに浪速の堺グラウンドの話は徐々に地元や中学校の野球少年などにもれ伝わっており、「浪速で野球をしたいからU高校から代える」などの話は既に2件も私の耳に届いているのである。
・ このグラウンドで近隣の公立中学校から「野球、サッカー、ラグビー少年をすべて浪速高校に集める」くらいの気概で私は対応している。「絶対に良いものを造ってやる」という感じだ。贅沢なものは出来ないが「知恵で勝負」である。妥協はしない。
・ 来年度の進路指導部長が「高校朝テストの提案」を中間報告に来てくれた。中々「面白い企画」で「前向き」なところが良い。従来の「朝英語に朝国語」を組み入れ「朝テストの得点を成績に反映」させるなど「強制力」を持たせているのが特徴である。
・ 期待の新進路指導部長だから是非頑張って欲しい。「皆を味方にせよ」と私はアドバスしたのである。「汗は自分でかきましょう。手柄は人に上げましょう」である。働き盛りの50歳、「浪速在り 仕事あっての おのれかな」の句をプレゼントしたい。