2010年3月21日日曜日

3月21日(日)侍教師 H先生





































・ 一人の「骨のある教諭」がこの3月末で本校を去る。少し長くなるが記録に残しておかねばならない。「円満退職」であるが本校の定年65歳からすれば4年を残しての「早期退職」である。3年前からほぼ決まっていたようなものであったが、私はまだ60歳でもあり「残って頑張って欲しい」といい続けて来た。
・ しかし故郷、山陰の事情も厳しくなってきて「ボツボツ潮時」と覚悟をお決めになったのだと思う。今年の1月「仕事始め」が済んで2-3日後のことだったと思うが「最後の意思通告」を受けて私は「止む無し」と辞意を受け止めたのである。
・ 今は「ご苦労様」という気持ちで一杯である。「有難う御座います」という気持ちである。H教諭としておこう。いずれ故郷に帰らねば成らない家庭的事情は分かっていたがその仕事ぶりから本校にとって欠くべからざる教諭と思い、私は昨年「内規」を作り、理事会に諮って「指導教諭の職位」を創設し、初代の「指導教諭」に発令した。
・ H先生は大学を卒業し1年間は民間に勤務したが昭和49年から本校に奉職してくれ勤続36年である。この間学級担任が14年であるが特筆すべき事項は「教務部長・副部長が19年」というから、このような先生はもう本校には現れないと思う。
・ そうなのである。本校の教務はこの先生によって形作られたのである。コンピューターにも精通し、簡単な「ソフト」なら自分で作ってしまうからそのIT技術は相当なものである。昨年は「私学教育功労者」に私は推薦し、見事に表彰された。当に「輝かしい経歴」なのである。
・ 今から3年前、着任した時から正直に言って「この先生から嫌な思いを受けたことが一回もない」のである。今振り返って見ても間違いはない。最初の面談時に年齢や経験を鑑みて「管理職についての意向」を全ての該当する教諭に聞いたことがあった。H先生は間違いなく管理職として格好の適任者であり候補であったからである。
・ このときのH先生の会話は今でも覚えているが「管理職になど絶対になれない。成れない理由は・・・」と説明を受けた記憶がある。その時の言い方が記憶にあるのである。「断固として」という感じであった。
・ 「教務部長」というのは「学校の頭脳」であり、「校内考査や学校行事、新旧卒業判定、入試問題採点合否判定業務」など教務部の業務というには「中枢の生命線」であるが彼は本当にこの3年間頑張ってくれた。
・ 「木村改革はH教務部長が具体化して図面化」してくれたから「全軍が動くことが出来た」のである。もし教務部長が「面従腹背」「守旧派」「抵抗勢力」だったりしたら、私は強権で「教務部長を更迭」してでも、改革をやりきったと思うが、この3年間全く一切、そのようなことがなかったというのは私の「精神衛生面」から大いに助かったのである。
・ 冒頭「骨のある教諭」と私は表現したが中々上手い表現だと自分でも思う。「良い先生」「素晴しい先生」などは陳腐だし、何と言っても37年間も教師をやり「還暦を迎えたベテラン教師」である。「良いとか優秀とか」では心が伝わらないだろう。
・ 人間60歳というのは「天命を知る」ことであり、人を表現するにそれなりの言い方があると思うのである。敢えて言えば「達人教師」とも言えるが、私は19日に行われた「校内教職員研修会」において「侍教師」「武士道的教師」という言葉を使ったのである。
・ 見た目は「温厚」そのものであるし「理科の化学を専門」とする教諭だから「知的」な雰囲気をかもし出している。何時もダーク系のスーツでネクタイ以外のお姿を見たことがない。「ピチツ」と決まっているのである。
・ しかし先生の内なるものは「激しいもの」があり、「気性はどちらかといえば激しい」ほうだと私は思っている。若い時は「この世代の誰もがそうであったように組合教員で中々の闘士」だったと聞く。しかしある時組合から離れた。私が着任する随分前の話である。
・ 私は一度聞いたことがある。「どうして組合から・・・」。お答えは良く覚えていないのだが私の問いに対して先生は言葉少なく「組合頼りにならず云々」みたいなことだったと思う。これは間違いがあるかも知れない。
・ ところが私が着任した時の組合分会長が「事もあろうか」、突然、まさに突然に近隣のライバル私立高校学に転進するという「信じられないような出来事」があったりして、本校の「組合分会」が揺れ動いたのであった。
・ 後任の分会長以下役員も決まらない中で、H先生は動いたのである。「次々と分会長候補者にあたり」説得を試みるのだが結局先生の努力は実らなかった。私はこの話を聞き付け、「組合を退いたのに後任の役員人事を心配する理由を問い質した」ことがある。
・ 先生は自分も組合員として活動し退会した。そして今惨憺たる現状に陥った本校の分会の将来を心配して「最後の組合奉公」「あるべき姿論」として「組合あるべし」と動いたのだと私は思っている。そのときに声をかけた教諭が面白いのである。
・ そうなのである。H先生は「人物を見ている」のである。「私に対峙して組合員をまとめて行けるのは」という発想で複数の人物にあたったらしい。又ある時、「私のちょっとした一言」で教員が動き、「ああ、あれはそういう意味ではなかった」と言った時に「理事長の一言は今や誰もが厳しく真剣に受け止めます」と暗に私に注意を喚起したのである。
・ 私が着任前に学校を揺るがすような「某重大事件」があった。これは理事会においても大きな議題になるような事件で一方の当事者がH先生であった。私は「何が現象として起きたか、その原因は何か」、徹底的に資料を読み、関係者すべてから聞き取って行ったが、記録に残る、このときのH先生の「言動」は当に先生の「限界を超えた場合の激しさ」を物語るものであった。
・ 結局「事件の真の原因」は自分なりに整理できたが、「大改革邁進中の私」には「昔のこと」など関係ないこととした。「新しい浪速を作る」ただこの一点で私は「H先生を観察」し、そして徐々に「頼り」にした。そして先生は見事に成し遂げてくれたのである。
・ 今から1.5年前頃だったと思うが「某重大事件の当事者二人」を私が席を作り、夕食に誘った。二人を並ばせ、私が真向かいで当に「東映やくざ映画の仲直りシーン」みたいな雰囲気だったが、そのときはさすがにまだ雰囲気はこわばっていた。
・ しばらくしてH先生は何かの時に「あの時あのような席を持って頂いて感謝しています」と言ってくれた。その後この二人は徐々にわだかまりもなくなっていったのだと思うが心の奥底は私には分からない。
・ 最近、一方の当事者が私のところにきて、H先生がこの人のところに来て、「色々とありましたが・・・云々」と言ってくれたと感慨深そうに、わざわざ報告に来てくれた。私は「良い話」だと思うのである。この辺が「」である。
・ 最近では何と「多聞尚学館」で講師として2回連続「化学の特別講義」をしてくれた。2回といっても1回が1泊2日で深夜まで続く講義である。60歳の年齢には堪える筈である。しかし先生は2回とも見事にやりきってくれた。
・ 私はこの2回とも先生の講義を拝見に行ったのであるが、生徒は真剣そのもので見事なものであった。私はそのときに気づいたのである。「ああ、これはH先生のさよなら講義」なのだと。「ホラッ」大学教授が退官するときにやるあれと同じようなものだと。「36年間の化学の教師としての最後を味わって」いたのかもしれない。
・ 1月の始めに退職の意思を私に伝えに来たときに「最後の最後まで浪速のために頑張ります」と言ってくれたことを私は忘れていない。確かにH先生は来週23日終了式以降は「残余有休の処理」でお休みくださいと副校長を通じて言ったのだが、最後まで教務部長として出勤されるという。「頭の下がる思い」である。
・ H先生のもう一つの功績は「後任を育てている」ことである。次の教務部長は「見た目大変H先生に似ておられる」Y教諭である。この先生は私も高く評価しこの3年間見事に教務副部長をやりきり、特に私は雅楽部の支援、奉仕委員会の立ち上げ、ボーイスカウト立ち上げなど難しい仕事を振ってきたが見事に期待に応えてくれた。
・ もう一人上げねばならない。H先生は「化学の専任教諭」を育ててくれたことである。最近私のブログで金剛山登山や生駒登山で出てくる少し太めのI先生である。このI先生は都合6年間本校で「艱難辛苦」「勉励刻苦」「骨身惜しまず」仕事をして、やっと「専任の椅子を掴んだ」先生であったが、この6年間、陰に陽に薫陶を受けたに違いない。
・ 19日は「平成21年度第3回校内教職員研修会」の日であり、前半部分の「専任教諭1年間の研修報告」というのがあったが、今回はI先生を含む3人の先生が対象で成果の発表があったのである。これは「指導教諭としての職務」だったのだが私はこの時のH先生の最後の講評に感動した。
・ 「このような若い優秀な3人の指導教諭として1年間を過ごし、自分にとっても優秀の美を飾れた気がする。この3人は間違いなく将来の浪速を背負う人材である。この1年間自分の教師としての経験と思いを伝えた。自分は浪速の舞台を引退するが心置きなく去って行ける。」と私は解釈した。
・ 私はH先生の労に報いるために31日ぎりぎりまで働いてくださる先生のために「送別の宴」を持つことを決めたのである。メンバーは4人、H先生と後任のY教務部長、そして恐らく友人で戦友であった筆頭副校長のS先生である。実は副校長も理科は化学の先生なのである。
・ 結局人間というのは「品格」である。「人間の品格」が問題なのである。又H先生は「内心が激しいだけに克己心が大きい」のである。人間はこうでなければならない。 H先生の退職で「浪速は名実ともに新しい時代」に入っていくことになるのであろう。「旧世代に属し、その中でも優秀な人材のシンボルみたいな先生」であった。どうかお体に留意されて次なる人生の豊かさをご祈念申し上げたい。「H先生、有難う御座いました。」