2010年3月9日火曜日

3月9日(火)私立にとっての土曜日
















・ 先週の土曜日も帰宅が18時過ぎであった。「堺の工事中のグラウンドと多聞尚学館に視察激励」に出かけたからである。1月以降ずっと土曜日はフル勤務が続いている。もう「土曜日のフル勤務」に体は完全に慣れきっている。従って「日曜日が如何に大切か、楽しいものか」、土曜、日曜連休の勤労者には分からないだろう。
・ 先週の日曜日は雨が降ったり止んだり肌寒い日であったが道頓堀の新しく出来たH&Mとかのファッション館とか高島屋の新設レストラン街をぶらりと歩いたりしたことが私の「ストレス発散」方法となる。日曜日がとにかく嬉しい。
・ その昔、公務員を本校の事務職員にお迎えしようと相当動いたことがあったが「土曜日勤務がちょっと・・・」などと言われて「あんぐり」したことを思い出す。しかし考えてみれば何十年も土曜日曜連休の体が慣れていれば土曜日勤務は確かにしんどいはずである。
・ 私も「土曜日はゴルフで日曜日は自宅でゆっくりゆったりというライフサイクル」を何十年もやってきたからその気持ちは大変良く分かるのである。サラリーマンから府立高校の校長を4年やった。その時も土曜日に学校行事はあったけれどもフルタイムではなく、全く問題は無かった。
・ ところが浪速に来てからは「完全に土曜日勤務」でそれも午前中だけとはならない。大体午後も用事があるのである。「入試説明会が本格的に始まる」ともう土曜日の午後は予定で埋められる。当初は正直「きつかった」。しかしこれも「慣れ」である。今や土曜日はそういうものだと思えば全く苦にならない。
・ 犠牲は「ゴルフを止めたこと」「趣味」を中断したことである。私は「全てを犠牲にして全精力を学校に注いでいる」のである。今私に必要なものは「体力と知力」だけである。「理事長、又今日の土曜日は休み?」などと言われ「又今週もゴルフだろう」などとささやかれていては学校改革など出来るわけがない。
・ 「ゴルフは麻薬みたいな」ところがあって、やり始めたら「来週もコースに出たい」となるものである。そうなれば「出入りの業者等から来週どうですか」などと誘われたりするだろう。
・ 又教職員に声をかけて「来週どうかね?」などと結果的に無理強いとなり、そのうちに「木村理事長杯」などの「冠コンペ」をしたくなるものだ。そしたら「あの先生は来て、あの先生はゴルフをするくせに来たことがない」となるものである。
・ このような事態はまず学校の「土曜日を崩していく」ことになる。一般の教員もたまには土曜日日曜日「連ちゃんで休みたい」のは人間の気持ちだろうから、理事長が休んで、学校に理事長や校長の責任者がいなくなると「自分もまあ一回くらいはいいだろう」と何年もの間にはなっていくものだ。
・ そこから「学校は腐敗」していく。「トップの姿勢」とはそういうものだ。トップが学校を留守にして何時も出歩いているばかりだと「学校に緊張感」などなくなる。校長が学校に「デンッ」と座っているから「職場としての緊張感」は保たれると思う。
・ このブログでも既に書いているが平成18年暮れに着任して「直ぐに断行したことが二つ」ある。一つは「毎月17日が理由の無い休日だったのを廃止」したことである。浪速だけにある信じられない意味不明の「特別休日」だったのである。
・ この日は何をする日であったか。「教職員のゴルフコンペの日」だったのである。勿論全員ではない。何時頃これが始まったのか調査したが、時期的にどうも何代か前のゴルフ好きの校長がいてその人が教職員の福利厚生的に創設したものらしい。
・ この校長は大変有名で自分の名前を冠にしたコンペなどを行い何十組も出るような大きなコンペだったらしいが、このときから「浪速の凋落が始まっている」ことはあらゆるデータが証明している。
・ もうひとつ私が断行したことは管理職以下就業規則にも無いのに「教職員の随意の半日休業を実施」していたのを廃止したことである。教職員は実質土曜日曜の連休だったのである。生徒は土曜の午前中は授業があるが教職員はその週内に自己申請で何時でも半日の休暇が取れる仕組みだったのである。
・ これでは授業に穴が開くはずと思って徹底して調べたら案の定「自習時間」がものすごく多くてこれでは公立の教職員の土日連休と比べてなんら変わらず、むしろ悪影響の方が目立つと憤慨したものだった。
・ 私立の拠って立つところは「土曜日もしっかりと教えています」ということで、「そこに教職員が張り付いている」ことが条件だろう。見た目生徒は来ているが教員は休んでいないというのは「詐欺まがいの行為」である。
・ この二つの「悪弊を正した」ことから「浪速改革」は加速度的に進んだのである。これだけは声を大にして言いたいのである。「教職員を責めているのではない、状況を責めている」のである。
・ 実際教職員は「抵抗などせず」すんなりと「受け止めてくれた」のである。ここに学校という組織体の文化というか限界があるのである。ここがポイントなのである。学校の先生という社会的に尊敬を得る職業で「すべての人が大学卒というインテリ集団組織」であるにもかかわらず、「内部から改革の声を期待できない」ということである。
・ まず教職員から「17日の休み、ぼつぼつ止めようよ。他の学校に比べて恥ずかしいよ」とか「半日休業するならちゃんと経営側と話して就業規則で明文化しようよ」「あの自習時間は授業料との関係で問題にならないの」とかの声は絶対と言って良いほど教職員からは出てこない。
・ 一人や二人がそのように思っていても全体を動かす力とならないからである。「出る杭は打たれる」し「既得権益」は手放さないものが人間の性であろう。特に労働組合があるところは事態が更に事態を複雑にする。たとえ「組合員数が半数に満たなくてもその力は大きい」ものである。
・ 自分は組合費を払わずに「隠れ組合員」みたいなふりをして「組合をそそのかし」、一方では校長に擦り寄って「自分は如何に校長の理解者であるか」を吹聴したりするいわゆる「馬鹿教師」の存在も問題である。
・ ある面、組合教員は「純粋」で「融通性には欠ける」が学校改革を真正面に受け止めている。問題なのは「日和見教員」である。この3年間凝視してきたが結局私のやったことは「日和見教員を排除し矯正」したことではないか。
・ 3年経って浪速の教職員は仕事をしてくれていることは間違いない。それも「良い仕事をしている」。土曜日を勤務日としてしっかりと仕事をしてくれている。相当中身のある業務を間違いなく仕事をしてくれている。
・ 「その結果が今の浪速である」。私は確信しているのである。この3年間本校の教職員は「土曜日によい仕事をしてくれた」。「土曜日を大きく戦力化したことが浪速改革の成功に結びついた」と私は考えている。それ位「私立高校にとって土曜日というのは意味あるもの」なのである。ここが「公立との差別化」である。
・ 今年の教員採用の過程である常勤講師希望の人が「土曜日は休めないものでしょうか」と言っていると聞いたので即座に「こちらからお断り」したのである。又2月から来て頂いている校務員さんが私に言われるのである。
・ 「土曜日の勤務など全く苦になりません。」「大工など土曜日も日曜日もありませんよ。」「仕事があるだけ幸せです」と言われるのである。そして「学校の仕事は面白い。やりがいがあります」と。私はそのお顔に「真摯なもの」を感じたのである。
・ 「私立の先生は甘い」などといわれてはならない。私は今後とも「問題と感じる教員」を強く指導していく。「学校の先生は特別な存在」であることは認めるが、特別な存在だからといって「態度、素行、言動の悪い教員」をそのまま許しておくことではない。
・ ここには「排除の論理」が働く。腐った1個のみかんは残りのみかん箱のみかんを腐らせていく。私の責任は「組織を守る」ことである。浪速を守る為には私は何でもやる。「覚悟」は出来ている。