2010年3月13日土曜日

3月13日(土)浪速中学校卒業式





























・ 本日は「浪速中学校卒業式」であった。公立中学校は昨日であったと聞く。「私立は土曜日が有効に活用」できるから大体「土曜日に行事を組む」ことで金曜日と言う日が授業などに活用できるのである。これは案外大きなメリットである。
・ 浪速中学校では36回目の卒業式と成った。これが一応節目の卒業式である。来年からは「関西大学連携浪速中学校」となるからである。私は式の途中で来年度は関西大学からもご来賓に出席頂きたいものだと「ふっ」と思ったのである。
・ 昨年は「雨の卒業式」となったが今年は雨も無く幾分「暖かい卒業式」となった。2月27日が高校の卒業式で丁度2週間の時間差がある。この2週間は大きい。「三寒四温」で日日に暖かくなっていく。式辞の冒頭の切り出しはこの字句を使ったのである。
・ 入学式は何とかぎりぎり中高合同の入学式が可能であるが卒業式は保護者や在校生も多く出席するから昨年までの新館のピロティ部分では会場として小さく、今年「初めて体育館」を使った。学年団が上手くアレンジしてくれていた。「浪速中学校の卒業式も本格的」になってきたのである。
・ 式に先立ち「神前奉告」を行い全員で学院神社におまいりした。今朝になって急遽校長と神前に進み出る生徒代表を男子生徒会役員に加えて女生徒代表も加えたのである。「初めて女生徒が卒業する記念の卒業式」であるからだ。
・ 卒業生は総勢で64名で昨年が33名だったから約倍増である。来年度以降は3クラス120名規模となるから実感として「成長過程の浪速中学」が実感できる。3クラス中学は立派な規模である。
・ 昨年は「男子校として最後の学年」であったが、今年は当然のこと、「最初の女生徒卒業生」が巣立って行った。歴史的である。私は着任2年目に共学に移行した。従って浪速中学校が最も辛い時に浪速中学に来て呉れた女生徒である。
・ 私はこういうのに弱い。女生徒や保護者に深く感謝している。だからこの学年には特別に支援とエールを贈ってきたが、十分なことをしてやれたか内心忸怩たるものもあるのである。
・ ただ「ブラスバンド部にはこの3年間で合計1000万円以上の楽器」を買い揃えていった。そのおかげで女生徒が入部してくれ演奏の実力も指導者の熱意もあって格段に向上した。今日の卒業式でも生演奏をしてくれた。
・ 昨日午後私は会場を視察した。どうも何か足りないなと思っていたのだが「思いついて」中学副校長に「赤じゅうたん」を生徒の通路に敷くように指示した。「レッドカーペット」の上を歩かせるのである。後刻中学校からお礼を言われた。

・ 式次第で言えば今年は一つの工夫をしてくれた。開式の辞の後国歌を斉唱し、そのまま校歌を斉唱することとした。それは閉式の辞の前に卒業生が「合唱」をというのであった。曲の名は「旅立ちの日に」というものである。相当練習したらしく良く合っていて素晴らしかった。
・ 式辞において私は司馬遼太郎先生の言葉「21世紀に生きる君たちへ」を贈った。昨年もこれを使ったが良いものは良いのであって中学生には余り長く難しいものは良くない。
・ 勿論細かいところは変わっているが中学生には分かり易くパンチあるものが良く、これだ。大阪の生んだ歴史家であり、小説家の司馬先生が「21世紀に生きる君たちへ」という本の中で言っておられる言葉を紹介したのだ。その一部から:
・ “自分には厳しく相手には優しくという自己を確立しなければならない。21世紀においては特にそのことが重要である。自己中心に落ち入ってはならない。人間は助け合って生きているのである。自然物としての人間は決して孤立して生きられるようにはつくられていない。このため「助け合う」ということが人間にとって大きな「道徳」になっている。「他人の痛みを感じる」ことと言ってもよい。「やさしさ」と言っても良い。これらは「訓練」で身に付くものだとも言われている。そして同時に人間は「頼もしさ」ということも必要だと先生は言われています。頼もしい人格を持たねばならない。男女とも頼もしくない人間にも模力を感じないのである。「頼もしい君たちになってほしい」と司馬先生は、21世紀に生きる君たちへ言葉を残されているのです。“
そしてまとめの言葉として私は万感の思いをこめて語り掛けたのである。“君たちは「浪速中学校で3年間学んだ生徒たちである。大切な、大切な将来の日本、大阪を背負う生徒たちである。体を鍛えてしっかりと勉強して素晴らしい高校生活を送ってください。そして「頼もしい君たち」に育って欲しいと思います。(後略)
 
・ 式の後保護者から記念品の贈呈、謝辞、そして花束の贈呈が私と担任にあり私が謝辞を述べた。少し驚いたのは謝辞は4名の役員さんが繋いでしてくれたことであった。又これは「サプライズ」であったが最後の最後に在校生から歌のプレゼントがあったのである。確か歌の名は「15の君への手紙」とか何とかであった。これが又大変良かったのである。
・ 終了後モーニングから私服に着替えている時にPTA会長と中学の役員さんがご挨拶に来てくれた。まだ目を押さえておられ、「大変嬉しい式」だと喜んで頂きここでもお礼と「浪速高校でも宜しくお願いします」と言われたのである。
・ 高校と同じく終了後の12時過ぎに中学3年生の学年団が職員室に集合し私から慰労の言葉を述べ主任のK先生からご挨拶があった。この先生は人間が出来ており、「二人の担任を前面に立てながら裏方に回り」大変良くやってくれたと私は評価したい。
・ 本校はこの後ピロティに移動して「謝恩会」に参加した。これは本校の伝統行事であり、卒業生、保護者、教員がリラックスして「お茶とお菓子で最後の懇談会」とするのである。「名残を惜しむ会」であろう。「本当に良い雰囲気のお別れ会」であった。何と私に又花束とプレゼントが用意されていて恐縮したのである。
・ 中学のD教務部長のリードの元、全員の協力で本当に素晴しい卒業式にしてくれた。式が終わった後「中学は何か新しい時代に突入した」ような気がしてならなかったのである。単に来年から関西大学連携浪速中学校と成るということではなくて「一皮剥けた」という感じなのである。中学は本当に大切である。私は重要視して今後とも「中学校には経営資源を投入」して支援したいと改めて決意したのである。