2009年4月10日金曜日

4月10日(金)春季例祭

・ 今日は「春季例祭」の日である。朝二コマ使って正式に「学院神社」への参拝である。昨夜の「合祀祭」とセットのものでその翌日に行われる。「春の祭」は新入生を迎えての「奉告」と教職員も生徒も健康で明るく無事に学校生活が送られることを願い、そして本校のいよいよの発展を祈念し、更にこの1年間の努力を見守って欲しいと「誓い」を込めて行われるものだ。
・ 神社庁の庁長、大阪天満宮宮司にも出席して頂けた。お祭りの斎行は「大阪府神社庁」から正式の神職が派遣される。今回は座間神社のご担当であった。例祭が終われば「直会」と言って神に供えられたものを頂くのであるがこれは「神の魂」の入ったものを神様と共に頂くという神道では意味ある行事であるが本校では生徒に「ノート」などが配られる。教職員には昼食弁当が「直会」として振舞われる。
・ このようにして徐々に霧雨のように頭から体全身に「本校のアイデンティティ」を生徒は浴びながら「神道の世界の理解を深めていく」のである。そして次の神道行事は秋の例祭であるがこれは「浪速祭」とドッキングしており春季例祭と「味わい」が少し異なる。このことは又秋に。
・ 1年生は初めてのことで静かにしていたがどうも2年生が少し「弾けて」、式の最中、少し「ざわざわ」して神道科の先生にお目玉を後で食らっていた。3年生は随分と大人になったものだ。静かにこなしてくれている。ついこの前まで2年生での「ざわざわ」がこのように静かになるのが「いとおかし」だ。

・ このように学校行事が粛々と進行していく中で実は5月の「修学旅行」の準備が本格化している。学校という組織で素晴らしいと思うのは「準備に万全」を期すというシステムが結構教職員に動脈のように行き渡っているということであろうか。
・ 私など民間出身からすれば「そこまで書いて、そこまで心配して用意するか」と思うときもあるのだが、先生方は必ず手順を踏んで細部まで規定しながら準備をしてくれている。
・ ただ「書いたマニュアル」どおりには行かないのが普通でマニュアルに書いた通りの事案はスムーズに処理するがいったん「想定外」のことが起きると「あたふた」するのも学校文化の特徴である。
・ 「学校バッシング」になるのは大抵の場合「あたふた」するか「ボー」としていて肝心なことを「タイミング」よくしない場合が多い。特に「保護者対応」だ。大切なことは「初動」であり、まず「起きたらすぐ動く」ことを心得ていたら、問題は拡大していかない。
・ ぬかるみにはまり、もがけばもがくほど沈んでいくのは大抵の場合、初期に「ボタンの掛け間違い」が修正できずにそのまま進んでしまうことである。最近でもこのような事案があって本当に大変だった。
・ そういう時に効果あるのは「管理職が速やかに動く」と言うことであり、先方も管理職が出てきて「最初に頭を下げたら」大体決着する。しかし教員出身の管理職と言うのは概して「頭を下げるのが苦手」である。テレビで時々校長が謝っているシーンがあるが、「あれでは遅い」。

・ 話が横路にそれたが今回は「初めての海外修学旅行」だから何としても成功させなければならない。「付き添い教員」をどうするかが問題である。今年の行先はオーストラリアである。英語圏でテロなどに比較的安全圏だからと、選択した場所なのだが、決定した当時の状況は「原油高」の時代でもう大変だった。毎日毎日状況が変化し、機材の変更や、路線の廃止などで振り回された感じである。
・ 結局海外組は4班に別れて一日違いで順じ出発するという「機関銃発射」の出発の形となった。関空便が無く1班は、申し訳なかったが「中部空港からの出発」というのもある。朝早くバスで名古屋に出かけそこから機上するしか方法はなかったのである。
・ 又飛行機苦手の生徒には北海道ルートが用意されているのだがそこは各クラスからの混成クラスだから「求心力」をどう保つかと言う疑問の声が教員から出されたりした。これは分かるような気がする。従ってこの北海道の付き添い教員を誰にするのかが又重要な判断を要するのである。
・ 大体修学旅行の付き添い教員数は公立で言えば「クラス数の1.5倍の教員が標準」とされており仮に学年が10クラスとすると15人までと言うのが一般的であるが私学の場合結構難しい判断がいる。まして初めての海外であり、生徒も教員も不安を抱えていては「良い仕事」も出来ないと私は考える。
・ この辺をケチって海外でトラぶったりしたら「元も子もない」から付き添い教員数には慎重で今朝の朝会で議論して最終的に決めた。学年主任からの意見も聞いた。1班が教員一人当たりの生徒数で14人、2班16人、3班、23.5人、4班23.8人、5班22.8人と言う計算となった。
・ 「教頭は全班通して現地滞在」だ。英語が駄目だから補佐役に英語科の教員をつけて万全の体制を図った。問題の北海道は指導教諭を団長に体育科の男性、女性の「豪腕派」を付け、新しい常勤講師も1名補強した。ちなみに中学校は同時期に屋久島種子島だが付き添い教員は5名で教員一人当たり12.8人である。
・ 「イヤー、海外修学旅行は手間とお金がかかるわー」というのが実感だ。標準数より多くなったがこれは「保険料」と割りきっている。どうか「生徒に良い想い出を持たしてやって欲しい」と念願するばかりだ。
・ あくまで「海外の旗を降ろさない」。それで今年の入学者については中部空港出発などナンセンスは止めて、又田舎のオーストラリア以外にも「新しい候補地」を探すように昨日1年生の学年主任に言ったところだ。
・ 例えばルフトハンザでハンブルグに降り立ちハイデルベルグ地方からベルリンに入ると言うルートなどである。時期も5月にこだわることなく1年で最も安価にいける時期を探すように言ったのである。高校の思い出はなんと言っても修学旅行である。良い旅行にしてやりたい。先生方に期待し、お願いするばかりだ。

・ 第一回「週末スペシャル」のチームが夕方5時学校を出発した。3年生の数学と日本史選択の2クラスである。受験科目であるから真剣に取り組んでくれるだろう。指導教官は数学1名、日本史2名だ。出発前部屋に呼んで私の思いを伝えた。何か「特攻隊の出発みたいな雰囲気」になってきた。頑張ってくれるだろう。