入学金未納の生徒入学式出席させず 千葉の高校
・昨夕のNHKテレビ、夕刊各紙、そして今朝の朝刊も、それほど大きな扱いではないが2段、あるいは3段の記事で報道している。毎日は今朝の社説にも記載しているから、相当の念の入りようだ。
・千葉県立八千代西高校(生徒数339人)が「入学金を持参しなかった男女の生徒二人を8日の入学式に出席させず別室で待機」させていたことが記事になったものだ。各紙とも今回の学校の措置を「批判的」なものにしている。
・一昔なら「おそらくこのような騒ぎでは済まなかったろう」。「学校バッシング」が凄いことになり、テレビのワイドショー辺りでは何も分かっていないコメンテーター辺りが「こんな校長辞めさせろ!」の大合唱だったかもしれない。
・しかしこの校長、テレビでも新聞でも悪びれず、「授業料滞納が目立ち、入学金の未納は負担の先送りかと判断した。生徒には辛いものだったと思うが県の条例で入学金を納めて貰わないと入学許可できず、式に出て貰っても名を読み上げられない。苦渋の判断だった。」と粛々と説明していた。
・各紙とも似たり寄ったりの表現であるが「校長の苦渋の決断」としているところは同じである。本当にそのとおり、苦渋の判断だったに違いない。「私はこの校長を支持する」。何時もは詰め腹を切らせる教育委員会も今回ばかりは「学校の事前説明は十分で、やむを得ない措置だった」としている。
・何時もの一般的な教育委員会なら「もう少し学校は十分なる事前説明が欲しかった。」「他の方法もあったかも知れない」などと校長の脚を引っ張るコメントを出すのが教育委員会の体質であるのだが「今回の県教委はこれまた立派」であった。
・学校は事前に保護者に対して全額納付が難しい場合は分納も可能で事前に相談して欲しいと十分なる説明を行い、入学資格は入学金納付が県の法律であるとも説明していたのに二人の保護者は納めず、入学式が終わった後で夕方届けられたと言う。「当日夕方持って来れたものが何故事前に持参できなかったのかという指摘」があって当然だ。
・可愛い我が子が義務教育を終えて晴れて高校生になる入学式だ。何はさておいても、「入学金を届け、保護者としての責任を果たして、子どもととともに将来に夢を膨らませる入学式を祝う」というのが親の気持ちではないのかなー。
・大体「合格発表から入学式までは大体2週間」はあり、時間はたっぷりだ。それに敢えて言えばこの学校は公立高校だから、入学金の額も私学に比べて極めて少ない筈だ。各紙にこの視点が全くないのには些か驚いた。「保護者の責任はないの?」と言う声も聞こえる。
・毎日の社説はさすがに社説だけあって「近年の全国の給食費未納問題」や「払えない正当な理由がないのに踏み倒し同然に支払いを拒否する保護者」「学校に無理難題を押し付けるモンスターペアレント」などの記載があるのは救われる気がした。
・ 本校は私学であり、基盤が公立学校ほど強くはない。保護者からの入学金と授業料、それに府からの経常費補助金、いわゆる私学助成金で経営がまかなわれている。入学金や授業料は「命の綱」だ。
・ 本校での今年の入学式は幸い入学金の未納はなく合格者全員に入学許可を出すことが出来た。本校でも理由なき入学金の未納があったら、恐らく私でも「入学式での入学許可」は出していなかっただろうと思う。後日納金が確認されてから、校長室で今回の例のように校長室で入学許可を出したと思う。
・ 問題は千葉の高校が保護者に最後の局面まで連絡をとり、「ぎりぎりまで納付をお願いしたか、どうか」だろう。保護者の中にはろくに資料に目を通さない方もおられる。ここがポイントだが、八千代西高は間違いなく実施していたに違いない。
・ 問題は入学金ではなくて「3カ年間の授業料」だ。分割払い、奨学金制度、特待生制度、府の助成支援など十分に配慮した対応を取っている積りだが、中には「授業料の滞納をし続けている保護者」もおられる。
・ 1人や2人ではない。3学年で数十人規模だ。その額たるや大変なものになる。そのために事務の職員は「通知状」「督促状」「配達証明つき郵便」など事務手続きが膨大なものになっている。最後は担任や事務の「家庭訪問」だ。それでも居留守を使われたりして、保護者にお会いできない時がある。そういう時には「どうしたらよいのか」、正直、途方にくれる。
・ 今年も中学3年生と高校3年生の授業料の未納を10月頃から詳細調査し、準備を始めた。特に「3年生は卒業してしまえば、それで終わり」となるからだ。卒業式の前日までに滞納している授業料を払って貰えないと「卒業式への出席は認める」が「卒業証書はお渡しできません」と文書にしているし、それが内規だ。
・ 教職員の努力が実を結んで今年は全員滞納額を完済して頂き、全く問題はなかった。このような場面は本校だけではなくて、全国の学校に共通する現象ではないか。それを明確に実行しようとすれば「学校批判」にさらされてはたまらないところもある。
・ 本校の1昨年の実例では結局、授業料を払って貰えず、「用意した卒業証書がそのまま」になっているケースもある。本校で3年間学んで「卒業証書を取りに来ないってある?」と言う感じだ。学籍簿には卒業とはなっていない。宙ぶらりんだ。
各教科単位の歓送迎会
・ 今各教科単位で「歓送迎会」が計画されているという。大変良いことだ。学校法人としては連休明けの5月9日にナンバで理事を含めて実施予定。総勢130名を超える大歓送迎会になろう。
・ この11日に某教科が天王寺で実施したという。「大変盛り上がった」という意見と「酷いものだった」という意見が交錯しているので事情を聞いてみた。まず男性の専任教員の欠席が多かったらしい。
・ 席も23人を5つのテーブルに分け、席指定がなかったため、特定のテーブルに専任が集中したりしてまとまりが今ひとつという意見も聞いた。送られる方はお一人の出席で新任に先生は殆ど出席されたそうだ。
・ こういうものはアフターファイブの私事とは言え、「同僚を送り、新しい仲間を迎える一つの儀式」だ。日本でも世界でもある通常の社会の決め事みたいなもので半ば「準公式」なものと考えることも出来る。「社会のお付き合いの一つ」だと思う。昔、自分もそのようにして歓迎されたのでないのか。
・ 出席しなかった3人の先生に理由を聞くと「私用があった」「出張だった」「部活動指導だった」と言う。「出張は夜7時、8時まであったのか?部活動指導とは何で?翌日大会でもあったの?と」。年に一回の会合だ。特にベテランの先生が進んで出席して座を盛り上げ、不安な面持ちの新任の先生方を安んずるのが大人の仕事と言うものだろう。
・ 一人の先生は「間違ってました」一人の先生は「やはり間違ってました」もう一人の先生は「・・・・」。25日、26日とあるらしいが、折角の機会だ。校長として「盛り上がった」と聞くのは嬉しいが「ウーン、微妙」となると気が重くなる。
・ 随分前にも永年勤続表彰者のパーティに関してやはり出席者が少なく、「人による」ということに対して強烈な意見を述べたが、「ある程度、出席のしばりのないかかる歓送迎会なら、もう中止したらどうか」という意見が出ても来るだろう。
・ 前述の教科の某教諭は「来年以降、又出席者が少なくなるかも知れませんね」と述べていたが「寂しい限りだ。」確かに段々と、社会が成熟するに連れてこのようなものが無くなっていくのが傾向だが、「年に一度の会合」だろう。それだけにこういうものは次世代に繋いでいきたいものだ。