2008年4月12日土曜日

4月12日(土)駅前看板

.「我孫子前駅」の本校看板
 ・この3月に転居した。このため通勤の駅が従来の阪和線我孫子駅から南海高野線「我孫子前」に変わった。幾分通勤時間は長くなったが特段大きな問題はない。駅から学校までは些か短いような気がする。
 ・しかし何時も気になるのが駅前、踏み切り傍に立ててある「本校の看板」だ。ちょっと目には気が付かないが一旦存在を確認すると忘れられない看板だ。どうも私のスタイルに合致しない気がして、通るたびに心を痛める。寂しいのだ。
 ・そこで今日の朝会で問題提起した。あんな「存在感のない看板はやり変えろ!何か、“国立結核(浪速)療養所”みたいな感じがする。白いペンキにただ浪速中学校高等学校と黒字で書いているだけではないか!見るたびに落ちこむ。寂しい。」
 ・他の管理職は「大笑い」だ。恐らく自分たちも心の中ではそのように感じていたのではないか。それを理事長が国立結核療養所とイメージを髣髴させる表現を使ったからだろう。しばし議論が続く。
 ・あれは「南海」が好意で立ててくれているもので「一切学校の費用はかかっていない。」「昔もそのような意見があったが、基準があってこちらの都合の良いようには変えてはくれない」とか、なんとかだ。
・ 事務長が言う。「しかし本校の生徒が南海を多く使っているのだから、少しはこちらも言う権利もあるのでありませんか」。私から「カラーの7色で今の大きさの2倍くらいで、費用は一切こちらが持ちますから」と言って「だめ元」で事務長が南海に当たってみることになった。
2.新館屋上の本校看板
 ・前述の議論が発展する。今度も私からの問題提起だ。「新館屋上の本校の看板がもうペンキが剥げたりしてみすぼらしいらしいという声があるが・・・」。これまた議論が沸騰する。
 ・周辺に建物が建って「もうどこからも見えなくて看板の意味がない」と。3人の管理職が異口同音に主張する。ところが中学の副校長は「南海本線からは見える」と言ったものだから、ブーイングだ。「本線から見えるはずはないって」。
 ・電車の車窓から、大和川大橋の上から「見える」ならまだしも、見えないなら「外せ」というも「外す工事が大変」だと言う。結論は新館の外壁再塗装の時に「あわせて実施」することで本日は落ち着いたのである。
3.広報宣伝費
 ・19年度は18年度に比べて大幅に広報費を増額したが20年度も「」の予算を設定した。正式には5月の理事会で正式決定だが、その線で原案を作っている。厳しい「生徒獲得競争」の中にある。
・ 19年度が良かったからといって20年度もそのようになるという保障はない。後で後悔しないように「必要なものは手当て」しなければならない。先ほどの我孫子前駅の立て看板も然りだ。
・ 担当教頭に指示し、本年度の広報戦略と戦術を一回まとめて報告するように指示した。私からは電車内の広告ビラとか基幹駅の固定看板とか、新しい考えも入れて考えるように述べた、又記念品と言うかお土産というか、学校説明会に来てくれた中学生にプレゼントする小物についても新しいセンスで考えるように言ったが、・・・センスがなー?
・ 本心は「テレビに広告放送」を流したいくらいだ。夕方ゴールデンタイムに1分間くらいのコマーシャルだ。「浪速が変わる、浪速で変える」と大写しでまず出す。次は場面が変わって「正門」を映し、流れるように「学院神社」にカメラは動き、生徒が拝礼している場面が出る。次に「教室の授業風景」に変わる。先生は誰が良いだろう。教科は数学か、英語か?真剣な生徒の目を大写しにするのだ。そして一挙に「グラウンドで野球」と「女生徒のテニス」のクラブ活動に変わる。そして最後はテロップで「進学と生指の浪速」だ。とにかく「映像で勝負」だ。説明は不要。絵で勝負する。一挙に評判とならないか。しかしお金が随分とかかるし、顰蹙をかうだろうな。「止めた!」。 「正攻法」で行けば良い。
4.その他決定事項
 ・高校の修学旅行の引率総合責任者をK教頭にお願いした。あわせて付き添い教員であるが理数科については「原案差し戻し」とした。3クラスを5人の引率であったが、4人で行けないかというものだ。
 ・今年は夏の8月、「来年のオーストラリア修学旅行の下見」に相当費用がかかることを覚悟している。従って今年は経験多い国内の北海道だ。女生徒の数も多くないから3人の担任に一人の女性教員の計4人で遂行してくれれば有難いが・・・。まあ学年主任の意見も聞いてみよう。