2008年2月13日水曜日

2月13日(水)引越し

引越し
・ 6年間住んだ天王寺を離れることにした。関東から大阪に移転したのは6年前、「大阪府初の民間人校長のお話」を受けて急遽大阪に出てきたのであるが、丁度その時は仕事でブラジルのクリチバというところに海外勤務していた。あの三浦和がサッカー留学したところだ。国際メールで住金の人事とやり取りしたのが懐かしい。
・ 平成13年12月25日、サンパウロから長い時間をかけて、空を飛び、雪降る寒い成田に降り立ち、そのまま乗り継いで関空に移動した。翌日、橋下知事とまではいかないが、多くの報道陣やカメラの居並ぶ前で「記者会見」をしたのがついこの前のような気がする。
・ その時にしゃべった言葉は今でも覚えている。赴任先の高等学校は有名な進学校で伝統校なのだが、定員割れするなど、評判がいま一つで、「一部名門企業の株価が低迷している。この学校の株価を引き上げるために人生最後のご奉公をして参りたい」と。
・ まず住む場所を決めなければならない。勤めていた会社の管理職寮が八尾の山本球場の隣にあり、会社は「ずっと居ても良いよ。」と言ってくれたが、企業人から学校長になる以上、「企業の匂い」を消したかった。「サラリーマン生活、バイバイ」である。そこに1ヶ月ほど居り、一生懸命探したマンションが今の天王寺のマンションである。
・ それから今日まで、ずーっと天王寺だ。駅そばで便利さはこの上ない。昔からとにかく駅のそばが好きだ。駅からバス、電車の乗換えなどは経験したことがない。天王寺は大阪の臍のような位置でどこに行くのも便利さはこの上ない。JR、御堂筋線、谷町線、近鉄、阪堺線、どこへでも簡単に行ける。
・ 学校へは天王寺駅まで歩いて3分、環状線の鶴橋まで電車で11分、そこから歩いて10分、何時も7時15分頃には学校に到着していた。校務員さんの次に早かった。雨の日も風の日も休まず通勤し「学校改革」に一心不乱に努めた。
・ 「やりがい」もあり、「充実感」もあったが、それでも内心ストレスはあったのだろうか、学校が休みの日は嬉しくて、「ほっと」して大阪中をバイクを駆って走り回ったものだ。趣味は「映画」と「骨董」だから休みの日はとにかく天王寺、ミナミ界隈を荒らしたものだ。
・ ウォーキングが好きで、阿倍野筋、我孫子筋、谷町筋、上町筋、目を瞑っても歩ける感じだ。平成18年3月、思いもかけない事件に遭遇し、4年間勤めた勤務先を退職した。「無念さはあったが、頃は良し!」と思う気持ちが心の中にあったのかもしれない。「スパッ」と辞めた。実績も残せたし悔いはなかった。
・ 関東に帰り、趣味の焼き物三昧で生きるか、大阪でもう一度教育関係の仕事に就くか、色々「充電しながら」考えていたが、「お誘いの数も多く」、どうするか悩んでいたところに「浪速からのお誘い」を受け、「ピピッ」と来るものがあり、「これもご縁」と、急転直下、浪速にお世話になることを決めた。18年の年末年始は荷物を持って帰ったり、又持ってきたり、東名高速を往復し、大変だった。そのときも拠点は天王寺であった。
・ とにかく1年、「1年は脇目も振らず頑張る」ことを誓い、そのようにした。私学は土曜日も出勤日であり、まさしくその通りであった。土、日と連休などはない。最初半年は土曜日が休みでないのが体にこたえた。考えてみればおよそ30年週休二日に体が慣れ親しんでいたのだ。
・ 企業勤務以来土曜日は大体「ゴルフの日」であったのだが、クラブは仕舞い込んで6年になる。土曜日は半日勤務どころではなく、通常勤務に近い。特に入試関係は土曜日が稼ぎ時で休みはない。しかし体は慣れるものだ。その分、今は日曜日が本当に有難く感じる。
・ 食事は自分で作る。料理は嫌いな方ではない。大体近鉄デパ地下でお惣菜を買える幸せはやったもので分からないだろう。あそこは食材も新鮮で値段も手頃だ。天王寺駅のステーションプラザも私の縄張りだ。近辺のお買い物カードは随分と増えた。溜まると500円のお買い物券を呉れるのだがこれが嬉しい。主婦の気持ちが分かるようになった。
・ 今浪速高校で1年経ってようやく心の余裕が出てきた。1年遅れたが「天王寺を終えよう」と決心したのである。私にとって「1年遅れの新しい出発」である。新築1年目で最初の住人が私であった。大家さんにも大変お世話になったマンションで、日当たりは良く、洗濯物もすぐ乾き、いうことはなかったが、6年も住むと荷物も増え、狭くて両手を伸ばせば左右の壁に当たるほどになった。荷物や洋服のハンドルに困難をきたすようになった。
・ 名誉理事長や理事長職務代理から「ボツボツ、本格的に腰を据えて、落ち着いた住居を」とのお勧めもあり、「転居を決心」した。「住めば都」も、最近微妙に環境が変わってくる。周辺に得たいの知れない人も出没し始めた。
・ 学校出入りの不動産業者に物件を探すように依頼したら、彼らはお手の物、「ヘーイ、お任せ下さい」で探してきた。条件は天王寺区外、駅のそば、ただそれだけだ。そのようにして「本日引越し」となった。思い出の天王寺、がらんとした部屋を見ると感無量なものがある。
・ 荷物を整理していると「愛着のあるものが汚く見える。」ことに気がついた。古いものは捨てて行きたいが、目の前にすると「どうも捨てられない」のだ。フライパンを数えたら大小6個あった。卵焼き専用を入れると7個だ。鍋は10個もある。アルミ、銅、鉄、合金製、大きさ、形、深さなど、一つ一つに思い出がある。
・ 私にとって「天王寺時代」は決して忘れることは無いだろう。「ウンッ、そんなことは無いって、直ぐ忘れるって」。そうかも知れないが、ここで「色々なことがあった。」今度の場所で又新たな個人史が始まっていく。
・ しかし引越しって疲れる。新しい部屋は何かごみの山のような気がする。どこに何があるか分からないし、お店もどこに行けば買えるのか、まださっぱりわからない。パソコンもまだ繋いでいないから携帯用パソコンにPUSカードを差し込んで、寒くて震えながら、このブログを書いている。「明日から又新しい大阪」が始まる。