2008年2月24日日曜日

2月24日(日)神道科の教育再編

國學院大學と皇學館大學
・ 本校は「敬神崇祖の道を学ぶ」ことを建学の精神として設立された学校である。神道の教学「浄明正直」をそのまま校訓としている学校であり、開学以来既に80猶予年が経ち数多の卒業生が斯界で活躍している大阪を代表する私学の一つとして自負している。
・ 別に神職養成学校ではないし、法人名が大阪国学院となっているから「東京の國學院大學グループですか」と良く間違われるが「全く資本関係も人的関係もない」。ただ名誉理事長と理事長職務代理は確かに國學院大學で学ばれた大阪を代表する神社の宮司職にあり、日本の神職界の重鎮でもある。
・ 又本校には皇學館大學卒の教諭が2名で宗教の免許を持つ。一方国学院大学卒の教諭も2名おり、こちらはいずれも国語の教諭だ。宗教の免許は有しない。この世界では院友(国学院卒)館友(皇學館卒)という言葉があり、ライバル関係が強いというがこの二つのグループは本校ではそうでもなく仲は良さそうである。
神道科の教育
・ およそ我が国の私立学校において「宗教教育」をここまで形あるもので実施している学校は無いと思うし、中でも「神社神道を基盤にしている学校」はあるまい。我々はこれを「誇り」にしなければならない。
・ 上町にある私立清風学園の平岡理事長は私と会うたびに「神社神道の学校であることをもっともっと前面に。日本文化の原点ですよ。」とおっしゃる。わが意を得たりである。ちなみに清風学園は高野山真言宗が基盤である。
・ 神社神道の浄、明、正、直を青少年の心に育成するというか「人の道」を週に1単位、中学生1年から高校3年生までしっかりと教えている。「神道科の授業」を通して敬神崇祖の心を養い、「人間としての生きる道」「21世紀にしっかりと生き抜いていくことのできる生徒」を育成することを目的としているのだ。
道徳教育
・ ゆとり教育の見直しに話題が集中しているが、実は「新学習指導要領にはもう一つの焦点」があり、それが「道徳教育」だ。動いたのは安部内閣の教育再生会議、2次、3次報告と「徳育教育の教科化」を盛り込んだが中教審は最後まで慎重の姿勢に終始した。与党公明党の気持ちを慮ってのことであろう。
・ 自己肯定が出来ず、自分に自信がない、公共心や規範意識が薄く、「私、僕」が常に思考の中心、携帯電話によるネット社会へ巻き込まれ、陰湿ないじめや校内外の暴力窃盗事件、人間関係つくりからの逃避、義務教育における「道徳教育の限界」をさられけだしているにも関わらず我が国の教育は有効な手を打ち出せないでいるのが現状だ。
・ 「教育は知・徳・体の三本セットで初めて教育」といえる。学力は学校教育の最も大切な部分だが徳育を忘れたら学校は単なる進学塾になる。いまこそ「徳育教育が重要」だ。私は特段「教科化」にはこだわっていない。教科化には「免許、検定教科書、評価」が要るが、私立学校だ。我々の出来るようにやれば良いのであってここが公立とは違う。形も大切だが「早く実を取る」考え方も必要だ。
・ 「浪速版徳育教育」をどう進めるのか、ようやく考えがまとまりそうだ。考えてみれば「やっとこさ、ここまで来た。」ということである。「学校改革」を激しいまでに進めてきたが、今までは器、形の部分であり、今後は「中身の改革」である。これは慎重に、慎重にしなければならない。「教育の中味の議論」だからである。実施するのは「教育を司る教員である。」教員にその気になって貰わねばならない。真打登場を期待したい。
現在の教科書
・ 中学校の「道徳の時間」で使用している教科書は1学年が「自分を見つめる」、2年で「自分を考える」、3年生で「自分をのばす」だ。「新学習指導要領完全準拠」で暁出版の「検定済教科書」、横山利弘関西学院大学教授、前の文部省教科調査官だった先生他の監修で「多くの現役の中学校教諭が編集に参加した立派なもの」である。これに本校の教諭がプリントを使ったりして「神道の教え」などを加味すればそれで十分だ。大体中学生は素直で従順で可愛い、悪いことなどしない。それよりも隣のお兄ちゃん、お姉ちゃん(本校の高校生)の影響を受けないかそれが心配だ。
・ 課題を感じるのは高校生である。19年度、1年間じっくりみてきてつくづくそのように思う。「高校生の徳育教育」をもう一度考え直さなければならないと思う。元々「神道科は学校設定科目」であり、教科書は本校が独自に編集したものである。昭和39年、浪速学院(当時の呼称)創立40周年記念事業の一環として当時の國學院大學教授の岩本徳一先生の監修で「神道への理解」の表題で4月30日に第1版が出ている。
・ この書物はなかなか立派な本である。しかし私も読んでみたがどうも高校生には若干難しく感じる。出来た当時からそのような声があったようである。そこで名前を「神道読本」と変えて、まず「巻の二(古めかしい言い方!)」を昭和63年に財団法人大阪国学院が発行した。
・ 内容は高校生に分かりやすいように編集しなおされており、続いて巻の一巻の三が完成し「3部作が出揃った」のである。この時の編集委員に現在の本校の担当教頭の名前がある。
・ その後3部作は扱いにくいということでもあったのか平成17年に「神道読本」として一冊にまとめられて今日に至っている。これが現在本校高校生が使っている神道科教科書である。感覚としては神道の歴史、教学に特化し過ぎている気がするのだ。
新しい視点
・神社神道の大略は「社会科の授業」でも出来る。実際そのようにしているのである。本年度のセンター試験日本史ではまさしく神社神道に関する設問があったくらいである。大切なことは「神社神道の精神」を教えながら「人の道」を教えることが目的である。
・日常をどう生きるのか、どのように考え、評価するのか。過去の事例はどうなのか、「日本文化と人間」「社会のあるべき姿と自分」「常識とは」等々「神道の教えに絡ませて授業の展開」をすればもっともっと「生徒の目は輝く滋養のある」ものにならないだろうか。
・ 「生徒生活指導が重要課題」といっている割には「起きた後の処分」が主体で、「起きる前のことが余りにも少ない」と感じる。神道科の授業に日常生活を絡ませることで現在の神道科の教育をもっと高めることが出来ると私は考える。3年間で3単位というのは相当な時間である。工夫することで本校の目玉の一つを更に高めることが出来る。
・ 「進学の浪速」と同じくらい「生指の浪速」を標榜したい。今後ますますこのことは重要な学校課題になる。今後道徳教育、徳育教育が議論となってくることは間違いない。本校は「神道科の課程を応用して先行」しておきたい。
新教材の開発に向けて
・ 「全面的に改定というか作り変える」ことを決心した。すでに担当教頭と神道科の主任教諭には伝えた。今から準備に入り、21年度入学生から適用する「浪速版新神道課程学習指導要領」だ。
・ 良いものは残し、今日的に不足している部分は付け加え、「総合的な神道課程のシラバスを整備」するということだ。「単元によっては現役の神社宮司から講義を頂く」ことも考えたい。又伊勢修養学舎以外に「神社奉仕を課程にも入れるべき」と考える。今「勤労奉仕」が議論になってきている。
・ 「名誉理事長、理事長職代理には監修」として入って頂く。すでにお願いして大賛成と言って頂いた。大阪府神社界からも教学に優れたお方を編集委員に入って頂きたい。既に人選を依頼している。
・ 生指部門からも編集顧問として意見を述べて貰う考えだ。若い発想で今度採用した女性の国学院卒の先生にも入って貰えばよい。「総力をあげて素晴らしい教科書を作って欲しい」。執筆料ははずむつもりだ。
神道関係行事の見直しについて
・ 1年間、私はじっくりと神道科の学校行事を見てきた。改める点も整理している。「伊勢修養学舎」は素晴らしいものであった。新たに「新春拝賀始業式」というのも行事化した。学校独自の「絵馬」も作った。相当「形は揃って来た」筈だ。集大成が「教育の中身」である。そのための教科書つくりだ。
・ 「女生徒への神道教育のノウハウがまだ蓄積されていない」。独断専行を避けるために外部の力を借りねばならない。女生徒への教育は難しい面があるが、それは男子校であった本校が経験不足だからである。心配する必要はない。良い女生徒ばかりだ。
・ 「しなやかで品格があって優しくて強い浪速生を育成」するために20年度の1年間、しっかりと頑張ってやりきっていきたい。神道科のM教諭なら主坦としてやってくれるだろう。夢は膨らむ。