遅刻考:
・ ご他聞にもれず本校でも生徒の遅刻は多い。前の公立高校では大きな問題行動を起こすような生徒はまったくと言って良いほどいなかったが、とにかく遅刻の数が多く、生活指導部の日常の仕事の大半は「遅刻指導」であった。
・ この現象は大なり小なり学校というものが、この世に存在し始めてからあるもので、「生徒と教師とのいたちごっこ」みたいなところがある。余り厳しく管理して兵庫県の高校であったような門で首を挟まれるような事件でも発生すると学校の対応の責任が厳しく問われる。
・ しかしながらどうも「遅刻指導だけは教師が堂々と胸を張って指導できる分野」に見える。どの先生も自信を持って声を出している。「門からこちらは学校だぞ。家とは違うぞ」と思いながら、門を入った瞬間から教師は生徒に対して「良い生徒像」を求めるのだ。教科指導となると胸を張るというところまで行かない先生も当然あるだろうが。
・ ところが胸を張って指導すると言っても、実態はこれが又難しいのである。「朝の立ち番」というのがある。これは大体生徒生活指導部の教師が行い、遅刻者や制服等の乱れ、時に頭髪、化粧などチェックをするのだが、教師は相当なエネルギーを消費している。
・ しかしながらチェックを受けた生徒は、速やかに授業担当者や担任にも連絡が行き、指導を受けるのであるが「ただそれで一件落着」となるだけのことである。生徒も「ひゃー、面倒くさいが、しょうがない」くらいでただ「手続きの済む時間の通り過ぎていくのを待つだけの話」である。教師が望むような「良い生徒像」などのイメージは無く、生徒にとっては門の内外など全く関係ない話である。
・ 「遅刻は大体、学年進行で増えていく」。3年生ともなれば「遅刻の常習者」を恥じるようなそぶりさえみせなくなるつわものの生徒も出てくる。1年生はさすがに少ないが、5月の連休明け位から増え始め、夏休み後の2学期の始まる9月から急激に増加する。
・ とにかく1時間目の授業は何か落ち着かない、人の出入りのある騒々しい感じで、これでは真面目に早くから来ている生徒の迷惑になるという考えも今日的生徒にはなさそうだ。何ゆえか。「遅刻が人様の迷惑になっているという概念」は全くと言ってよいほど持ち合わせていない。あるのは「私だけ」なのである。
・ 遅刻の原因は様々であるが,「共通しているのは生徒が学校に間に合わない生活スタイルを有しており」、それを「積極的に改めようとしないから」である。夜遅くまでテレビを見る(余りいない?)、ゲームに興じる、友達と携帯メールでお話、朝起きての髪の手入れ、なんとなく「だらだら」といったもので、中にはアルバイトでへとへとというのもあろう。
・ 勉強しすぎたとか、深夜まで本を読んでいたと言うのは余り聞かない。今日も生指部長に生徒の書いた遅刻理由書を見せてもらったがなんと「電車に乗り遅れました」としか書いていないのだ。ここに個々の生徒が有する遅刻という行為への考え(?)、思いを私は感じる。
・ 遅刻者の多くは学校の規則で遅刻は良くないことだと頭では分かっている。親からも「早く起きなさい、遅刻しますよ。」と小学校の頃から言われ続けて来ているのだ。でも生活習慣は改めない。
・ 即ちここにあるのは「個人としての私」しか居ないわけで、「ええやん、誰にも迷惑をかけているわけではなし」といって心では開き直っているのだとしか思えない。ところがアルバイト先で遅刻を2ないし3回使用ものなら「すぐ、首」になるからバイト先には一生懸命向かう。
・ 朝の立ち番に対応している教師でも生徒からすれば「ただの、そういうことをする先生」でしかない。「自分は指導を受け、大変な教えを受けてる尊敬する先生とは思わず、「普通の、そういうことをする先生」なのである。
・ 逆に立ち番の先生が「おはよう、何でや、遅れるぞー、授業始まるぞー」など挨拶も含め声などやさしくかけても生徒からは殆ど挨拶は返ってこない。たまに見知っている先生や好みの教師がいたりすると「オッハー」など返したりするがそれも稀である。
・ 生徒生活指導部の教師には通常一目置いており、保健体育の先生や、運動部の顧問先生がなっていたりするので「運動部に属する生徒は遅刻はしないし、」「先生を畏敬で見ているから大体礼儀正しい」のだが、問題は何処にも属さない「この私、この俺、この僕の生徒たち」である。
・ 今年から「生徒生活指導部の体制を強化」した。来年は更に強化しようと考えている。今日短い時間だったが生指部長と方針のすり合わせをした。前にも書いたがこの先生は中々の企画能力があり、新しいことをしてくれるのだが、この2月から正門入ったところで「遅刻者に教室入室証」を書かせるようにしたという。
・ 今までは遅れたら職員室に行かせて書かせていたらしいのだが、要領の良い生徒はするりと逃げて教室にそのまま入り込むらしい。それをすぐ書かせるようにしたら遅刻者が半減したとデータを見せてもらった。
・ これなど典型的な今日的生徒だ。「えー、ここで書くの、それなら明日から5分早く、家出よか」となったというのである。「この私」の生徒は自分が損するのはいやだから、そういう行為には慎重となるのである。バイト先を遅刻しないのと同じ論理である。
・ 大体8時40分に授業が始まるのに40分から正門で遅刻カウントするのはおかしいではないかということになって本日8時35分と決めた。副校長と教務部長と相談して授業時間50分のうち「何分の遅延を欠時とするのか」「幾らの欠時で欠課とするのか」早急に決めるよう生指部長に指示した。
・ ペナルティを与えねば膠着状態は打破できない。それに統計データがないと分からない。去年、5年目、10年前の生徒に比べ今の生徒のどうなんだと聞いてもデータがない。是ではいけない。学校社会は余りにもデータと言うものに鈍感である。
・ データを揃えることは「弱者をあぶりだす」ものであるという間違った考えが一部の教師グループにあったことが未だに尾を引いているのだが、この間違った考えを正さなければならない。
・ 学校は弱者のためにだけあるのではなくて、殆どの普通の生徒集団の為であり、全てのマトリックスから統計データで効果的、公平的に対応しなければならない。遅刻者のためにどれくらい教師のエネルギーがそがれ、真面目な生徒の授業が侵害されているかと思えば私は許せなくなるのである。
・ 遅刻は完全にはなくならないと思う。しかしそれを学校という団体生活の場ではいけないことだと教えていかねばならない。継続する教師の指導を絶やしてはならない。諦めてはいけない。「根気よく教師が教師であり続ける限り遅刻指導は続けなければならない」と私は思う。