2008年3月12日水曜日

3月12日(水)関関同立

1.関関同立とは
・ 関西の人なら大概の人は「関関同立」の言葉くらいは知っているだろう。学校関係者や高校生は間違いなく知っている。関東の人は「それって、何?」だろうがね。ネット百科事典にも出ているから今や「一般化されてきている言葉」である。
・ この言葉の起源は「旧関西六大学連盟」で行われた伝統の野球の一戦、「関関戦と同立戦」から来ているらしい。「阪神間の関西大学と関西学院大学、京都の同志社大学と立命館大学」はお互いにライバル意識が強く、当時の野球人気もあり関西の名物対決として定着していったとものの本にはある。何時頃かは定かではない。
・ 関関については「関大と関学、どちらが先か」という話や、立命の発行する広報誌などには最近まで「立同関関」としていたらしいが、もうそれも使用されなくなったらしい。即ちこの4大学は関西のブランド大学として発展し、今や学生サークルの連合組織や大学院の単位互換制度など有効発展の「シンジケート私大」だ。一般受験生垂涎の大学かも知れない。この「一般」と書いているところが味噌だが・・・。
・ 上記4大学のうち、どれが「偏差値の高い大学か」など,私がここで論じる訳にはいかない。大変なことになる。どの大学にも本校から生徒を送り出しており、教職員も関関同立の卒業生は多い。
・ 昨年の「大学合格者水増し事件」はこの「関関同立を舞台」にして行われた。高校側からすれば関関同立に何名入れたかが「評価に繋がる」として無理をしたのだが、「ウーン、それほどまでにする価値があるかなー」という感じも正直なところある。
2.センター試験の経緯
・ 私の世代は「共通一次試験の前の世代」であり今のようなセンター試験などは勿論なかった。昭和40年代第一次ベビーブームによる受験生の急増、高学歴志向で受験環境の厳しさが社会問題化したが、この当時は国公立大学隆盛の時代で、一期校、二期校と別れていた時代である。歴然と「国立大優位の時代」である。一部の私大を除いてそれは厳然としていた。
・ 激しい大学紛争の時代を経て、受験競争緩和の目的で昭和52年「大学入試センター」が設置され、昭和54年、第一回目の共通一次学力試験が実施される運びになる。しかしこれらも、すべて国立大学を中心に考えた入試制度改革で「私立大学はカヤの外」であった。ますます大学の序列化に繋がり、輪切りの進路指導、入試改善は国公立大学のみに留まり、私学は無視を決め込み、この制度は立ち行かなくなり、共通一次は11年間で終焉となる。
・ 中曽根内閣の臨教審は「新しいテスト」を昭和60年に導入することになるのだが、これが現在の「センター試験」で、ようやく「国公立、私大が利用する」ようになったのである。しかし国立大学の従来からの「5教科7科目方式」が大学の自由裁量になる「アラカルト方式」なるものも出てきて、この時期から「大学は大きく変質し始めた」と私は分析している。
3.「何が起きたか?」
・ 「地方国公立大学の地盤低下」が徐々に進んできた。「受験の大衆化」に伴い、受験生は「地方から都市部へと流れ」、都会の「おしゃれな大学」が人気を博するようになってきた。関関同立もその中に入る。
・ 特に大都市圏の国立大は旧帝大を中心とする京大や阪大など、「超難関大学」となり、特に「文系」は多くの受験生が私大に流れ「入試難易度は一挙に上昇」、「私高国低」などの言葉が生まれるようになる。関関同立は難関大学へと変身する。
・ しかし 「私立大の受験課目は3科目が当たり前」、中には2科目とかまで現れるようになり、これにつられて地方国立大学も「学生を確保するため」課目数を5教科7科目から5科目、4科目、3科目と減らすところが出てきたり、AO入試と推薦入試とか「勉強しなくとも大学に入れる教科」がどんどん増加していったのである。
・ そこへ持ってきて文部省が「ゆとり教育」と称して授業時間数の削減や訳の分からない課目を設定したりしてきたものだから「学力低下」論争が沸騰してくるのは当然である。要は文系の大学生では「分数の出来ない大学生」が多く見られるような事態に立ち至ったのではないかと見る。
・ 大学が「ファッション化」し「受験課目の少ない都会型の私立大学は今や人気の的」となり、少子化の中で「親も自宅から通わせたい、地方になどやりたくない。まして東京など怖いところには行かせたくない」となるのである。遂に「関関同立の時代」が来たのである。一昔前までは「国公立の併願大学の位置づけ」しかなかった私立大学が、都会型に関して言えば一挙に栄耀栄華の時代を迎えることになったのである。
・ 関関同立は今や高校、中学は言うに及ばず、小学校を作り、小さいころから「囲い込み」をするようになる。新しい学部をどんどん増設し、留まるところを知らない。関西大は来年外国部学部を設置し、再来年には堺と高槻に健康文化学部、防災系学部を予定と聞く。関学は来年「教育学部」を設置するし、再来年は「国際系学部」だという。驚くばかりの伸張だ。勝ち組と負け組がはっきりしてきた。「関関同立は間違いなく勝ち組」だ。
4.関関同立の受験課目
・ ライバル校だから基本的に同じである。「関関同立文系」は英語、国語、選択科目で1科目の計3科目である。配点は立命は少し違うが基本的に英語が200点、国語が150点、選択が100点のところと150点のところがある。立命館は英語120、国語100、選択100だが「比率」は似たようなものだ。関大は英語の比率が高い割りに、選択の比率は小さい。
・ 「関関同立理系」はやはり3科目受験で英語、数学、理科選択である。理系でも3科目だから驚く。国語の成績など問わない。配点はそれぞれ少しづつ違うが比率は大体同じで英語が35%、数学35%、理科が30%程度だ。「これで良いのか」という気持ちになる。
・ どこかが受験科目を1科目でも増やそうものなら「一挙に人気を失う」ことを怖れて関関同立すべて「横並び」だ。最近ようやくセンター利用方式の拡大で4科目受験も現れるようになったが。
5.関関同立志願者数
・ 2008年度の独自入試で言えば関西大62824人、関学大31224人、同志社大44446人、立命館大42220人と「凄い数の志願者」を集めている。「地方の小さな町の人口を超えている」のだ。合格者は関西大で11191名、関学大7159名、同志社12071名である。
・ 関西、地方何処から集まっているのか、次回に分析するが、関関同立も頭に入れながら「日本全国に目を配れ」と生徒にはいう積りだ。「地方の国公立大学も捨てたものじゃない」。授業料は安い、歴史はある、卒業生も多い、良い教授陣、じっくりと勉強できる、新幹線を使えば数時間で大阪に戻れる、日本に大学は多いのだ。