学校社会の格差問題(パート2)
5.常勤講師公立と私立
・とりあえず非常勤講師と常勤講師は区分して論考をした方が良い。非常勤の中には「ご本人の強い意志で非常勤を選択」しておられるケースが多い。子育て、介護他様々な理由がある。又公立高校の60歳定年を過ぎて、なおかつ「教壇から離れられない」と自己の自由時間とのバランスを考え、非常勤講師を選択する人もいる。
・課題は常勤講師である。これは論考が難しい。「基本的に専任教諭と同じような業務をこなす」。時には専任教諭をさしおいて「担任」などになったりもするし部活動指導も対応する。同じような仕事をして「身分」が違うのはおかしいではないかというものだ。その限りにおいては正しい意見である。
・公立高校にも常勤講師制度はあるが基本的に「その数は圧倒的に少ない」。まず産休、長期病気療養等の代替教師以外に年度末平教員が教頭に昇格した時の代替教員当て嵌めも常勤講師だ。タイミング上合わないからその学校の校長は教頭で一人送り出したのは良いが、その後は「どんな常勤の先生が来るのだろう」と心配になる。
・私学は些か様相が異なる。私学における常勤制度の歴史はそれほど古くは無いと思う。本校においても古い話でない。少子化の中で生徒募集に困り、財政的に苦しくなっていく中で「専任教諭を抱える」ことの影響を経営者が考えるのは分からない話ではない。それにしても「本校の専任比率は小さく」、これは問題として捉えている。
・ある程度の人材の弾力性を持たすために考えだされたのではないか。正直そのように思う。もう一つの理由は学校の抱える教員数の違いだ。大阪府では高校だけで約10000人もの教員を抱える。本校はせいぜい130人前後だからその違いは大きいというのを通り越している。次元の違う話だ。
・府立の教員は4年から7年で転勤がある。ぐるぐる回っていくが多くの私学は基本的に転勤などはない。そこに勤めれば最低でも35年から40年勤務する場所は変わらない。何を言いたいかというと「一人の教員の持つあらゆる意味での重さ」は公立と私立では異なるのである。
・もし、結果として「教員の質が問われるような教員を保持する」ことにでもなれば「その影響は図りしれない」のである。何時かのブログにも書いたが専任教諭一人当たり法定福利費を入れて年間1000万円近いコストがかかり、「学校運営に戦力とならない教員を抱えるようなことにでもなれば私立は死活の問題となる」のである。
6.組合の主張と難しさ
・ 本校の組合分会も「常勤講師制度はおかしい。セイムワーク、セイムペイである。」と過去、大私教本部の統一要求を受けて各分会の要求項目にもなったりもした。しかしこの論点は一部視点が抜けてないかと指摘したこともある。
・ 理由は前述に加えて「本当にセイムワークですか?」という問いかけだ。教員100人が居て100人が「セイムワーク」と私は考えていない。全然異なるといっても良いくらいだ。
・ 「セイムワーク、セイムコンテンツ、セイムアウトプット」であれば成り立つ議論だが残念ながら「教育現場では現実に能力も執務態度も、努力も成果も一人一人異なる」。まずここの論点を整理しなければならない。
・ だから大阪府をはじめ全国の公立学校は「教員の評価システム」を導入し、ここを明らかにしようとし始めた。国も教員免許法の改正をして、10年後の研修を義務付け、不可能な場合は「教員免許の更新はさせない」と法的に整理した。
・ マスコミは「駄目教師は教壇から追放」とか過激な言葉を使っているが、今「社会の学校、教員を見る」が大変厳しい」のであり、そのような背景は教員一人一人が全く平等だとか公平だとかの議論が違っていたということではないだろうか。「教員の資質」が本気で問題にされ始めたのである。
・ 理想論的には専任教諭と常勤講師との並存は無いほうが良い。しかし現実には難しいから一歩一歩近づけていくプロセスが望ましい。その場合の必要条件は「評価システムの導入」と「公立でいう分限免職」、即ち「解雇権」であると私は考えている。その権利が経営側に与えられないと「母船そのものが沈没」しかねない。
・ 生徒数が減少し、専任教諭ばかりで解雇も出来ずでは船は立ち行かなくなるのである。誤解の無いようにいうが今でも「解雇権」はあるのであるが、その行使と手続きには制限と煩雑さが多いから、このように言っている。
・ 「学校整理」の前段階で「教職員数を調整できる権限」があれば、専任常勤の議論はなりたたなくなっていくだろう。今朝の日経新聞は解雇が出来ないから経営側は非正規雇用社員に行かざるを得ないと論じる学者の言を引用していた。
7.格差の本質
・格差の解消について分会に対し、「専任教諭と常勤講師の財源をプールして均等に分配するのを受け入れるなら、専任と常勤の年収格差を解消しても良い」と回答した経緯があるが「出来うる話」ではない。
・前述した日経新聞には次のような記事もある。「正規社員の収入規模を下げるか、非正規社員の収入を上げるか」は簡単に行く話ではなく、「雇用」そのもののあり方に影響を与えるとしている。米国流に正規も非正規も簡単に「首を切る」国ならいざ知らず、日本は欧州に近い「終身雇用を原則」として社会を作ってきた国だ。
・正規社員と非正規社員とを区別しなくなったら「まったく別次元の国の形」となろう。ところで常勤講師と専任教員とはどこが違うかということであるが、基本的に実は「1点を除いて」大きな違いはないのである。退職金も付くし、諸手当も専任と同じである。
・その一点とは「雇用契約期間が1年」ということである。1年で契約の更新がなされない場合はそれで「終わり」という契約なのである。それは本校独自のものではなくて、公立も他の私学も同じなのである。
・従って常勤講師問題の本質は「不安定な身分」ということではないか。「専任に何時になったらなれますか」「何年待てばなれますか」ということであると想像する。「専任になるためにどのようなことが必要ですか」というのもあろう。
・期間について各学校間で考え方の違いがあるみたいだが、「大体3年を上限」として契約の更新はしないというものが普通である。本校も現在までは3年ということであったらしい。公立もその基準である。
・ちなみに本年度常勤講師から専任になった教員の期間は20ヶ月が一人、33ヶ月が一人、36ヶ月が二人、12ヶ月が一人と様々だ。一人は非常勤講師から一挙に専任だ。それ以外の常勤講師の先生はすべて「契約打ち切り」となったものである。ほとんどの方が36ヶ月の期間であったらしい。
8.浪速高校の専任教諭に期待される資質
・以上のように本校では「本校にふさわしい専任教諭」を常勤講師の先生から、大学卒業の新卒の先生から、非常勤の先生から、公立を含めた他校から積極的に採用していくつもりであるし、それを具体的に本年度実行した。丁稚奉公でもあるまいし、「期間」などは大きな意味はない。
・期待する資質として文言にすれば以下のようになる。
①まず「社会人としての常識を有し、行動できる方」が何をさておいても最初にくる。教師たるもの、社会のコンプライアンスについては絶対条件である。特に金銭にまつわるトラブル、飲酒運転等の問題、通勤費等公金の不正受給、セクハラ、男女問題、人権無視等は教育者としてあってはならない。
②次に「教科指導力」である。これは教師としての最低条件であり、生徒に教えられないということは教員免許を取得しているとは考えられない。大学入学問題が解けないような教師に生徒を教えられるとは思えない。
③次に「生徒生活指導力」の問題である。これは必ずしも当初から絶対的必須項目ではないが、これがないと「授業が成り立たない」からである。経験とともに力はついていくと思うが、意識して努力することが大切である。ただし生徒への体罰、暴言などは「教育の敗北」であり、処分の対象とする。
④次に「校務運営に熱心であるということである。」各分掌業務、学年団、学校行事、部活動指導等に積極的に参加し、「生徒の為に汗をかく」ことのできる先生は本校の望む先生である。特にベテラン、あるいは特別な特技があるような教員に時に唯我独尊的行動をするところがあるがそれではいけない。「集団での協調性」と言っても良い。
⑤「勤務態度、服装」については本校の教員であるとの「矜持」を持つためにも重要である。特に遅刻、早退等については「注意」が必要である。有給休暇や時間給は事前申請となっており、事後処理で整理するものではない。権利を行使することはまったく問題ないが「逸脱した権利の行使」は許されない。
⑦最後に「謙虚」に「勉強・研究」に熱心な教師は伸びると信じて疑いはない。「社会の尊敬」を受ける教師という職業に「誇り」を持ち、謙虚に「学び続ける先生を浪速高校は欲しているのである」。
9.そして
・以上のことは本校理事長校長としての勝手な言いざまであると思うが、「生涯の勤務先」を「本校のみに絞るような選択の幅を狭めない方が良い」。社会には立派な学校は極めて多い。又現在は「売り手市場」であり、公立高校へのチャレンジや有力私学への研究を怠ることなく、「自分に合う学校」「自分の能力を発揮出来る学校」を探すことだと思う。
・そのために本校をステップアップの舞台として有効に活用されることは「踏み台にされた」と憤ることではなくてむしろ「誉れ」であると考えている。とりあえず、1年間「ご縁」があってともに職場を同じくするのだ。「明るく元気一杯に頑張って頂きたいと念願」するばかりである。