年度末研修会
・ 本年度から始めた「年度末研修会」。今日は昨年4月に専任教諭として採用された3名の教諭と10月の1名、計4名の先生の「初任者研修」と「先進校視察の出張報告」である。都合5件の発表であったが、概して「立派」なものであった。
・ 初任者研修の4名は発表順で英語女性教員、数学男性教員、英語男性教員、保健体育女性教員であった。英語の男性教員はまだ採用後1年未満であり中間報告ということらしい。したがってこの先生はこの8月の夏季研修会が本番となる。
・ 元々「就業規則」で1年間が「試用期間」となっており、この研修会を終え、晴れて4月1日に正職員になるための「極めて重要な研修会」であり、「指導教官」もあらかじめ指名しており、最後には指導の先生のコメントもある本格的な研修会であった。
・ 発表時間は大体20分から30分以内で、資料の形式などの規制はない。好きなように「1年間の新採教員としての実践の成果と課題、本校の教諭としての抱負」などを聞きたかったが、「実践に主体」が置かれており、「まあ、これは仕方ないか」なという感じもするが・・・。
・出来れば「研究」的なものが欲しかったが、数学の教員にはそれが感じられて大変良かった。理系文系の差かなという気もするが、単なる「実践報告」では「1年の研修としては物足りない」気がする。英語の女性教員は「生徒アンケートを取って分析」しており、これは今後学校として進めようとしている「生徒の授業評価」の先駆け的なもので評価できる。
・ 私はこういう研修会で「資料外に光るもの、資料を通じて伝わってくるもの、常日頃のビヘイビアと本日の発表との整合性、資料、発表の口ぶりから伝わってくる人柄」などを「直視」している。単なる資料の発表だけではない。企業でも何でも上司の部下を見る目とはそういうものだ。
・そういう意味で保健体育の教諭の発表は1年を時系列的に追ったもので「人間としての教諭」が滲み出ていた。こういうのに私は弱い。「苦労した人間はそれだけ光るものがある」。「全体から匂ってくる」のだ。比較的ベテランの部類に入るがこの先生は「謙虚で良い」。
・ 1年間の研修で「何に気付いたのか?何が分かったのか?今後のポイントは何か?分析解析は普遍的にされているのか?肝心の生徒はどうなのか?本校の教諭として65歳まで頑張っていこうという気になったのか?」等々理事長・校長に訴えたいものはあった筈だ。それをアッピールしたら良いのに。後に続く人は参考にすべきである。このブログはコピーくらいしておけば良い。
・ それに「教師として自己啓発、自己開発、自己目標、自分を教師として高める個人的な目標」などあるはずだが今日の発表ではそれがなかった。それがなかったらマンネリになり、教師としてのレベルアップはおぼつかない。要は「勉強しない教員になってしまう」のだ。こういう教員の如何に多いことか。
・ 今日の発表者は若い人で30歳平均、後35年間本校で頑張ってもらう先生方だ。私や副校長など、もう死んでいない。「浪速の将来」はこのような若い先生方の意識にかかっていると思えば私の「気合は入る」。大きく、大きく、立派に育って欲しいからだ。
・ 今後数年間で多数の専任教諭を採用しなければならない。それこそ私の仕事だ。ここ数年で「30人以上の専任教諭」を増やさなければならない。公立や他の私学との「奪い合い」だ。「良い先生の確保こそが本校発展のキー」であることは間違いない。
・ 國學院栃木への出張報告は「出張者の高ぶりが伝わってくる良いもの」であった。ああ言うのを聞くと「行って貰って良かった」と思う。出張報告の中には良かったのか、悪かったのか、行きたくなかったのか、どうにも分からないような報告があるのだが、ああいうのは聞くのが辛いし腹が立つときがある。「お金の無駄使い」だ。前回の夏季研修会にそのようなものがあった。
・ でも今日の出張報告は十分とは言えないと会の席でも厳しく指摘した。「先進校と本校を対比」させ、「具体的に何をするのか」、そこまで方針を示さねばならない。理数科長と進路の副部長が出張して「あと他に誰が方針を出せるというのか!」。
・ 行ってきました。すごかったです。感心しました。「さあ、後はどうしましょう」では頂けない。此処はこうしたい。これはもう少し様子を見たい。等々意見はある筈だ。決められる人間が出張したのだ。副校長、教務部長、学年主任などと議論すればすぐ方針は出せる筈だ。後は管理職が決済すればよい。
・ 私などこの1年間、「あれは駄目、これも駄目」などと言った覚えはない。逆に「あれもやれ、これもやれ」だ。とにかく「現状を変えるためには何でもやる」というのが私の現在の哲学だ。部下にとって私ほどやりやすい上司はいなかろう。「やるなというより、やれという上司の方が良いに決まっている。」
2.私学教員の質的レベル
・ 微妙な問題であるが正直に書こう。「公立高校の教諭に比べ決して本校の先生方は劣っていない」。むしろ「誠意や素直さ」などは勝っているのではないか。公立4年間の校長勤務、多くの高校への出張等を通じて「浪速1年の感想」が私にそういわせる。
・ 本校の教諭を長い間やり、現在非常勤で来ていただいている先生は中々「論の張り方が常人を超えた素晴らしいところ」があり、私が敬意を表する大変勉強になる先生の一人だが、この人が何時かこのように言われたことがある。
・ 「先生、私立の教員は公立みたいに東大、京大、阪大などを出た先生はそんなにいませんよ。国公立大学に行けず、私大に学び、公立教員の採用試験に落ち、やむなく私立の教員になるなど、人それぞれに挫折など経験している教員も多く、そういう先生が私立には多いのですよ」と。
・ 又私の知己である元公立トップ校の大物校長先生で、今私立の校長をしている先生は会うたびに「私立の教員は相対的に公立に比べ落ちる」などと言われるのが常であったが、今の私はそのように思わない。1年経って自信を持って言える。
・ 勿論公立にも私立にも酷い教員はいるし素晴らしい教員はいるのだが、その「平均値」は本校の方が勝っているのではないかと最近考えている。「教員にとって、どこの大学で教員免許を得たかは関係ない」な。最近つくづくそのように思う。
・ 「京大、阪大を出たからといって素晴らしい教員とはならない」。有名無名、中央地方、国公立私立、大学など関係ない。確かに公立のトップ校はいわゆる難関大学を出た先生が多くいるが、すべてではないし、中にはそういう中に唯我独尊の首を傾げる先生がいることも事実だ。
・ 今日の5名の先生方の発表を見ていたら間違いなく言える。「決して負けてはいない。それよりも勝っている部分は多い。」と。ただ本校の場合、「刺激」が余りにも少ない。公立のように数年ピッチの転勤は無い、生徒のレベルも悪くは無い、やんちゃな生徒もいない、保護者の質も高い、そういう環境は人間を「現状維持」にする。
・ 「教職員に刺激を与えることの出来るのは理事長・校長、管理職」だ。他校の管理職は何も言ってはくれない。「生徒・保護者も刺激材」だ。「刺激に感性」を持たないと痛痒を感じない。楔を打ち込むのが管理職と何回も書いた。「刺激を与えない管理職は失格」だ。
・ 今日の研修会で「浪速は長い間、鎖国状態にあり・・云々」と言い、こうも言った。「太平の眠りを覚ます蒸気船、たった一杯で夜も眠れず」ではなく、一艘の迫力あるパワー満載の黒船で浪速太平の眠りが覚めつつあると。 「今後とも教員を外へ出すことを心がけよう。外の空気を吸わせよう。」
・ 言いたいことは「外に門戸を開け」「外に目を向けよ」「他に学べ」だ。「内輪でごちゃごちゃ言っているだけでは、現状は変わらない」。今こそ太平の眠りを覚ますときだ。立ち上がって行動すべき時だということを研修会最後に強調した。
・ そのためには「謙虚」ということかもしれない。謙虚になれば「学ぼう」という気になる筈だ。自分は大したことはない。もっともっと高めなければならないと思えば体は動く。偉そうにしたって、たかがしれていると「客観的に自分を見つめることのできる教師が本物の教師になる秘訣」ではないか。最近自戒を込めてそのように思う。