スーパーティーチャー
・ 学校に「新たな教員の職位」が生まれてきている。戦後60年考えられなかったことだ。これだけでも学校の変化が分かる。学校社会の組織系列は従来「一般教員、教頭、校長の単線」、すなわち一本線であった。戦後長い間これだけしかなかったのである。
・ しかし最近ようやく新たな職位が誕生し始めた。背景には「学校改革」が声高に叫ばれまず校長支援の目的でまず「中間管理職」が設けられるようになった。「学校を組織化」しようとし始めたのである。
・ 東京都が皮切りで「主幹」、大阪府は色々な意見があったが結局「首席教諭」となった。いずれも管理職位である。加えて大阪府はこの4月から正式に「准校長」の呼称を始めている。これは校長試験に合格して「ポスト待機組」の当て嵌めであろう。普通の副校長とは違うと言いたいのだろう。良い考えだ。
・ 新たな職位の増設については様々な意見がある。「折角のフラットな構造をピラミッド型にするのは如何なものか」という意見と、「昔と違う。安全対応やモンスターペアレンツ、ネットいじめなど従来の学校とは質的に変化してきており、校長の指示ですぐ動ける人間が必要だ。」等が大きなものである。
・ 本校では教頭の下に「担当教頭」を設置した。現在2名当て嵌めている。入試広報担当教頭と生徒指導人権担当教頭だ。初期の目的を達成しながら大変良くやってくれている。狙いは当たっている。勿論対外的には「教頭」で良い。
・ しかし重要なことはもう一つの線路だ。教員の処遇体系を単線から「複線化」しなければならない。「あの人はライン長になるよりは教科指導で行った方がご本人にも学校のためにも良いのでは」というタイプは結構多い。
・ 小難しい分掌の長や温度差のある教員を部下にして「へとへと」になって教頭、副校長に昇進していく生き方よりも「数学指導を極めたい」「国語の教科書を作りたい」等々ライン業務から離れて「スタッフ的業務」でこそ「私の力は発揮できる」と言い張るタイプはいるだろう。
・ このような教員に対して職位を整備したのが「指導力が高い」として「スーパーティーチャー」とか「エキスパート教員」とかである。自治体によって呼称が異なる。面白いのは埼玉県の義務教育の先生では「はつらつ先生」というのもある。
・ 文部科学省によると2006年度までにスーパーティーチャー制度を導入したのは都道府県や政令市の教育委員会で11あり、他に導入を計画中が29もあったという。
大阪府は「指導教諭」と呼称し一般教諭と処遇に差をつけている。当たり前だ。名前だけならそんなもの付けて欲しくはない筈だ。すぐ「名誉」とかなんとかいうが名誉なんかより「実」だ。処遇に差をつけなければ意味はないというのが民間出身の私の考えである。
・ 全国の人事委員会で作る全国人事委員会連合会がまとめたモデルによると従来は校長4級、教頭3級、教諭2級であったが「指導教諭の当て嵌めは教頭と教諭の間の特2級に位置」づけられるという。まあ2.5級だ。それでも給料が上がる。
・ 「校長、教頭以外は皆同列」と言って「管理職を敵対視」していた一部のグループからすれば「鍋蓋社会の崩壊」に繋がるこの制度は「大反対」であったが、最早大きな力もなく、全国の自治体は導入している。
・ とにかく学校教育法が改正された法律だからパワーはあるし、文科省財務課は「努力した教員に報いる制度を目指す」と言っているからますます教員間の給与差が拡大していくのは目に見えている。
・ 本校も「指導教諭」の職位は整備した。まだ「当て嵌めた実例」はない。少なくともそこそこの年令基準が必要だろう。40才台初めで「指導教諭です」でもなかろう。大阪府は確か55才超えだったような気がする。
・ いずれにしても本校でも今年から始めた「人材育成評価システム」はそのような趣旨で「頑張ってくれた教員に報いるための制度」の性格もある。評価が高い先生のうちから、誰もが認める「高い指導力を有した先生」が「浪速高等学校指導教諭」として認定されることになろう。給与は管理職としての扱いとなる。
・ 指導教諭となれば各種研修会の講師や他校の模範授業に呼ばれるなどもあるだろうし、論文なども求められたりするだろう。特に若手の指導はやってもらわないとならない。しかし横並びだった教員の間に「職位の差」が出来ることへの戸惑いも出てくるかもしれない。
・ 教職員組合は「認定を受けようとして教師が上の顔色ばかりみるようになる」とか「職場内に上下の意識が生まれる」との意見が出てくるだろうが私は逆に「なり手がいない」ことを心配する。少々の手当で「しんどい気苦労なことは嫌だ。」である。しかしそういう気概のないことでは困る。
・ 教員間に上下の意識が生まれるというが「元々全ての教員が同じ力ではない」ことは皆が知っていることではないのか。新人とベテランは違うし同じような経験長さを有していても「実力は全く違う」ということは真実中の真実である。誰もが知っていることである。
・ 「前向きなはつらつ教員」と「サボることばっかり考えている教員」がいることは学校社会の常識ではないのか。それをあぶりだして正しい処遇をしようというのが本制度の趣旨であると主張する積りはないが、余りにも20世紀的な硬直的、教条的な発想を主張しても税金や授業料を払ってくれている国民保護者は「学校の甘えだ」として許してはくれないだろう。
・ 学校はいやおうなしに変わっていく。「風を読み、正しく適切に振舞うか、すねて一人わが道を行くか、個人の選択だ」「金を稼ぐと言うことが如何にしんどいことか、学校の教職員も社会の格差で揺れる実態を直視し、素晴らしい仕事を有している幸せに気が付かないといけない。」