2008年5月8日木曜日

5月8日(木)特別講習

受益者負担の特別放課後講習制度
・ 本校には充実した講習制度がある。何時頃から始まったのか定かではないが、形としては充実したものである。「面倒見の良さを売りにしている本校としては当然のこと」と考えており「教員も良く対応してくれている」。正式には「放課後講習」という。
・ 今年の1年生から科・類制で全面的に内容も呼称も変わったが2年生、3年生は従来通りのスタイルで実施している。理数科は2年生で英、数、理(化、物)、3年生で社会が加わる。特進文科Ⅰ類は2年生で英・数・国、3年生で社会が加わる。
・ 放課後講習の形は「教員による講習」と引き続いての「自主学習」で構成されており、16時30分から17時40分までが、まず「教師による講習で70分」、その後は19時までの70分を「定着のための自主学習」である。
・ 曜日は火・水・金で土曜日も13時20分から同じようなスタイルで実施、本年度の参加者は理数科では殆ど全員、特進文科は2年生が76%の参加率、3年生になると少し落ちて70%程度である。
・ これらは「受益者負担」で諸経費が賄われており、勿論市中の予備校や塾などと比較すると「メチャ低いコスト」であることは間違いない。本校は「予備校に行かなくても行きたい大学へ行かせます」が謳い文句であり、生徒の学力向上には役に立って入る筈だ。
・ 「自主学習」というのは「生徒をほったらかし」にするのではなくて講習した先生が居残って面倒をみてくれているのだが、これについては少し疑問があり、少し是正を指示している。この一こま70分は極めて重要な単位で単なる自主学習では「教師が講習で教えたことの確認」が出来ないのではないか。70分と言うのは丁度良い長さで、この時間の有効利用を踏み込んで考える必要があると思っている。
・ 最も、最近は自主学習は少し形が変わってきていますと理数科長は言うが70分二コマを更に有効に活用するため「一工夫」して欲しいと思っているのだ。具体的に言えば理解促進、定着を図るにはここで「小テスト」を入れて欲しい。
・ 65分や70分授業をしている学校は10分程度の小テストをして定着を図っている。そのための70分授業だ。進学校のスタイルは二つあり、一つは一こま45分で一日7限授業、もう一つのスタイルは65分から70分授業だ。この場合は必ず前述したように授業の最後に小テストなどを入れるという。こま数が少なくなるから分かる話だ。
・ そして残りの時間で生徒隣同士で採点させ、教員が本日の「ポイントの念を押す」。要は「一回完結方式」にしいないと「本来の授業」もあり、本末転倒に成りかねない。是非この方式に切り替えて欲しい。「自主学習」と言葉は良いがこれでは貴重な時間がもったいない。自主学習は自宅でやらせるべきだ。「教師は教えないといけない」。これは私の方針である。
・ 学校はあくまで「授業」である。授業をおろそかにしておいて「補習」や「講習」でもなかろう。それでは塾や予備校になってしまう。あくまで「授業第一」だ。授業の補完として講習がある。
・ 授業だけでは「理解が遅れる生徒」、授業だけでは「進度に物足りなさを感じている生徒」と様々いるがこれらの生徒が「自ら希望して取り組む場合」に学校は講習というものを用意するのだ。授業は文部科学省が指定する強制科目であるが補講や講習は義務ではない。
・ 昨年、サマー学習合宿というものに付き合ったが、あれでは「勉強遠足」か「場所の変わった授業」だ。一こま、二こまの為にわざわざ教員が京都まで出かけて行き、クラス単位で「授業みたいなこと」をして何になるというのか。
・ 「 サマー合宿」はあくまで合宿で運動クラブの合宿みたいな「選ればれた者だけの徹底指導」みたいなものでなければならない。朝早くから夜遅くまで英国数を徹底してやるのだ。関関同立の過去問ばかりをやってもよいくらいだ。
・ 「 ライバルは予備校」である。河合塾や駿台、代ゼミを相手にしているのに「ちゃらちゃら」したスタイルで何をしようとするのか、考えただけで腹が立ってくる。300人近い生徒がクラス単位で揃って夕食を取っている光景を見たときには体が震えたものだ。
・ 夏休みとか春休みとか生徒は休みであるが教員は出勤日である。この時を使って学校でやればよい話だ。わざわざ京都や琵琶湖の側に行く必要はない。それに「スポーツで行きたいと望む生徒」まで連れ出す必要はない。あくまで希望者で「学校が認めたものだけ」だ。それは「レベルを合わせる」ということだ。
・ レベル合わせとは「習熟度判断」である。家で勉強せず、講習にさえ出れば「それで安心」「皆出るから、私も、僕も」では効果などないだろう。徹底的に引き伸ばすためには「相当な学習意欲のある生徒で基礎基本が出来つつある生徒」が対象だろう。
・ 普通の授業でも「理解や進度に課題がある生徒」は学校で放課後希望者だけ「繰り返し、繰り返し基本を教える」ことが重要だ。京都くんだりまで連れて行く必要はない。学校でやれば良いだけの話だ。
・ 特に「新1年生のSSとⅠ類は対外的に公表し、集めたそれなりの生徒群」である。「3年後彼らをどこまで伸ばせたか偉大なる実験」である。この「4クラスを更に区分」しなければならない。「徹底してやらねばならない」。やりたい部活動まで規制して、保護者負担でやるコースだ。「大きな責任」があると教員は心得なければならない。
・ 「赤信号、皆で渡るわけにはいかない」。伸ばすものは徹底的に、遅れているものは早く追いつくように基礎基本を教える。学校には早く走れる生徒と、ゆっくり進む生徒と様々である。「ゆっくり進むものに早く走れる生徒を合わせるわけにはいかない」。これは「犯罪行為」である。私学であれば尚更だ。「浪速はどうも形は私学だが、やっていることは公立」だ。私は今浪速を名実ともに誇り高い私学にしようとしているのだ。
・ 文武両道を誇る清風、桐蔭など見れば良い。スポーツは天下一品、進学実績も超一流、ちゃんと「峻別して対応」しているではないか。「転科転コースの為に易しいほうにレベルを合わしている私学」などどこにもない。とんでもない話だ。