2008年5月14日水曜日

5月14日(水)教員人事広域化

教員人事広域化
・ 13日の朝刊の記事の一つに目立たなく、本当に扱いは小さくて、しかも産経と日経しか報道していない注目すべき記事があった。「公立小中の教員の人事」について一歩新たな動きが出てきた。私は悲しい性ですぐにこのような記事に目が留まる。恐らく一般の方は意にもとめないであろうが。
・ 文部科学省は12日、公立小、中学校の教員の人事について「現在の都道府県にある人事権を市町村に移管する」ことを「検討する協議会を設置」したと報じている。これは先に諮問機関の「中央教育審議会」からの答申を受けてのことである。記事には「広域化の制度設計」を検討するとあるが、これだけでは何を言っているのか、一般の人には理解が出来ないだろう。
・ 要はこういうことだ。現在、政令指定都市を除いて「義務教育教員の人事権は都道府県の教育委員会」にあり、市町村の教育委員会にはない。大阪府で言えば「府費負担職員」と言う言葉があり、衛星都市の小学校、中学校の教員の給与と人事権は府が握っているのだ。だから「教員採用」なども大阪府の仕事である。
・ ここが実は問題の要因で、金も人事権もない市町村はこと教育に関して言えば「徒手空拳」でしかないわけだ。教員を増やそうにも、勝手には出来ない。大体金も人事権もない市町村の教育に関するパワーが弱いのは当たり前だ。幾ら市町村議員が「やいのやいの」言ってみたところですぐどうこうなるものではない。
・ そこで何時も府と市町村は仲がややこしくなる。ところが府のほうから「全てお渡しします。そちらでやってください」と言われた時に市町村は「自ら教員を採用して」「給与を渡し」「一生面倒みられるのか」ということになる。その前に単独で「優秀な教員を集められるのか」ということになる。
・ 小さな、小さな行政府で小学校が二つ、中学は一つしかないような町、村の学校に誰が行ってくれるのかという問題だ。今の「医者のいない過疎地」と同じことが起きる。転勤はないというか、転勤する学校がない。一生同じ学校となってしまう。新聞記事にある「広域化」とはそのような小さな行政府が連携して広域化を進めようというものではないか。
・ 当然クラス数の調整や給与処遇の調整も必要だ。給与の高い市や町には新卒の教員は行くが山に近い村の学校には誰も行かないということが起きる。大阪府は全ての人事権を握り、そういう小さな村にも町にも現在は教員を定期的に移動させて回しているから、なんとか持っている。
・ 「私学には人事異動はない」。一生そこに勤めるだけだ。その代わり公務員でないから、学校がつぶれたら「セーフティネット」はない。即ち行き場所は公立教員みたいに「転勤」で次の学校はないのだ。
・ 公立学校が統廃合されても公立の教員は転勤でどこかにもぐり込めるが、私立の学校は学校を辞めるか、辞めさせられて、次の私立学校を自ら探さなければならない厳しさが待っている。そういう例は今後多く出てくるだろう。現実にある話だ。
・ 「公立教員を目指すか、私学の教員を目指すか」、本人の選択であるが公立小中学校が市町村に人事権が移管されたとしたらそのうち、市町村別に給与が異なるなんて起こるかも知れない。要は「公立の私学化が始まる」と私は考える。
・ 現実に大阪府で言えば10000人の高校教員も含めて府費負担職員の「評価制度」が始まり昨年からは「処遇へ反映」され始めた。同じ学校に勤務していても、同じ年令で同期でも「隣の席の人とお給料が違う」ことが始まったのである。今朝の新聞によれば府庁の役人に対して「橋下知事は能力主義を更に徹底する意向」を示した。
・ 公立が変わって来たら「これは脅威」である。もともとポテンシャルが高い教員が多く、彼らが「その気」になったら我々は「やばい」。今のうちに力をつけておかねばならない。数馬身は差はつけておかないと追いつかれる。
・ 私学は元々各校別々だ。私学間の連携などない。ちょっと前にある私立学校の校長に冗談交じり「教員交換制度」を考えませんかと提案したが、そのときは笑いになったが将来本格化してくるかも知れないと私は観ている。
・ クラス数の変動によっては「教員のやりとり」が私学間であってもおかしくない。お互いに助かる話しではないか。3年後逆にクラス数が減少したら、本人の希望を聞いて『正式転籍』とする「元の学校に戻るか」決めれば良い。
・ 「公立の教員と私学間の交流」は現在でもなされている。良い結果を生んでいるみたいだがもっともっと規模の拡大と「私学間同士の交流」がそのうちなされてくるようになるのではないか。そうすると、この意味は「セイムワーク・セイムペイ!」(同じお仕事には同じお給料を!)になると言うことだ。組合が要求していることが実現する。
・ 恐らく現在の橋下改革が進んでくれば公立の教職員の給料が10%削減される。当然私学助成が10%削減される。私立の教員の給料が公立より高いということにはならないだろう。即ち私立と公立間において教員間で給与処遇に差をつけられなくなるということである。
・ それはどういう結果を生むかといえば私立学校において「平均給料を出せないところは敗退」していくしかない。教員がそんな所を敬遠するからだ。私立学校の優勝劣敗がますます進み、「負け組は廃業」となる。当たり前だ。少子化の中で昔と同じ数だけの私立学校は必要ない。公立がどんどん統廃合されているというのに「私学が安泰」と言うわけにはいかないのではないか。
・ 私立はここ数年が大きな分水嶺となる。「浪速は何としても生き延びる」。そのために少々のことは我慢しなければならない。本校で私とともに「浪速の将来を築きたい」という先生は頑張って欲しい。楽をしたいと言う先生は去って貰って結構だ。今年入って来た常勤講師の先生の中には明日からでも「専任教諭」が勤まる人もいるらしい。誰か知らないけれども副校長2人が朝会でそのように言っていた。人材は結構いるのだ。人材を生かして来なかったのではないか。