道明寺天満宮「釋奠会」
・ 昨日は本校理事長職務代理であり、大阪を代表するお宮の一つの道明寺天満宮の南坊城宮司からお誘いを受け、同宮で斎行される「釋奠会」というものに参加した。難しい読み方である。「しゃくそんかい」ではなく「せきてんかい」と読む。
・ 昨夜来の雨は上がっていたが肌寒い中、9時頃、準備して藤井寺市道明寺に向かう。昔は天王寺の住居であったから近鉄南大阪線一本で大変便利であったが、転居したものだから難波からは御堂筋線で天王寺まで出ることになる。
・ 18年度末から19年度初めは本当に良く通った。学校が落ち着いてきたから訪問の頻度は大きく落ちたが、昔を思い出せば「感慨深い」ものがある。「通いなれた道」と言えよう。社務所にご勤務されている神職の全てのお方ともう顔見知りで、宮司の奥様はじめご家族とも親しい。
・ 「釋奠」の奠は「孔子」のことを言うみたいで初めて知った。「何で菅原道真公をお祭りする天満宮が孔子様をお祭するのか」という疑問があるが、すぐに理解できた。明治6年朝廷から藤沢南岳先生に下賜された、「孔子尊像」を明治36年になってその守護役に道明寺天満宮が当てられ、爾来100猶予年にわたって同宮で祭典が執行されてきたという。そう言えば境内には孔子ゆかりの「階の木」など樹木がある。
・ 祭祀されている像は小野筧作と言われ古くは足利学校に崇祀せられていた由緒正しき「我が国最古の孔子尊像」である。年に一度しか開帳されず、私も本日は拝見できる幸運に恵まれたが、年代を経てきているだけに「圧倒的な存在感」を有し、「香気」を放っておられる。
・ 一口に100年というが、ここ南河内の地において面々と祭礼を継続されてきた道明寺天満宮の「意と力は大したもの」であるとつくづくと感じる。明治36年頃の道明寺天満宮の周辺は当たり一面何もなく、ただお宮とお寺があり、管公と孔子が祭られる神社となるのは「むべなるかな」といったところである。
・ 「釋奠会」は協賛会の形をとっておられ全国から参集されている。本日も遠く新潟からというお人もおられる。玉串奉奠のあと、「祭文」が上奏された。仏事では祭文があることは知ってはいたが「神道の世界」でもあるのだと初めて知った。当然だがまだまだ知らないことは多い。いや、知らないことばかりである。
・ 「祭文」は関西大学名誉教授で「論語研究の碩学長谷川先生」の手によってなされた。この文章が又良いのだ。後で前文のコピーを頂いてきた。一部を紹介しよう。「前略・・・然レドモ戦後60余年、民心安キニ流レ贅ニ奔ル。為政ノ任ニ当ル者ニシテ然リ。今ヤ我ガ邦ノ良風美俗退廃ノ極ニ達セリ。是允ニ憂ウ可キ現状ナリ。心アル者焉ンゾ看過シ得ンヤ。・・・後略」
・ 祭礼後は長谷川先生の「論語講義」となる。3節ほど特別講義があった。有名な「子曰」であるが、先生は「子ののたまわく」と言われていた。「子いわく」よりこちらのほうが良いらしい。今度から私もそうしよう。
・ 祭典の後は「お弁当」だ。私が食べ終わったときには宮司はまだ半分くらいだ。「もうひとつ如何ですか」と言われたが「今朝からダイエットしていますので」とお断りした。私は食べるのが早く、宮司は遅い。遅いと言うか余り食されない。
・ その後お茶席となる。今日は「お抹茶席とお煎茶席」の2席が立てられている。こちらも本日の来訪目的である。特にお煎茶の正式なものは初めてで大変勉強になった。ご社中はお抹茶が道明寺天満宮、お煎茶は花月菴流でお家元が来られていた。
・ それにしても南坊城宮司はもはや「大阪を代表するお茶人の一人」であることが分かった。知識経験見識全てに亘って茶の道を極まれつつあり、「凄い」と今更ながら恐れ入ったし驚いた。茶道具や掛け物も素晴らしいものが山ほどある。「即中斎直筆」とかいったものがそこらへんに山ほどあるのだ。「南坊城家3代のお宝」だ。
・ 驚いたのは「お茶室」である。「明治天皇」が行幸され同宮を「ご在所」とされた部屋を50年経って改造されたものらしいが明治和風建築の趣を色濃く残しており隣の「ご寝所」や「三種の神器」を置いてあった床の間など見学させて頂いた。道明寺天満宮には「国宝」が5つもあるが、この建築も今や重文だ。
・ 私などは実業の世界出身だから「すぐ金儲け」のことを考えるのであるが。宮司に「料亭にしたら良いかも・・・」と独り言みたいにいったら、宮司は「驚いたお顔」をされていたな。まずかったかな。しかし高級茶懐石の料亭にすれば「全国30選茶懐石名料亭」に選ばれることは間違いないだろう。
・ まだまだサービスは続く。近隣の有名な「書画家20人」を天満宮が招聘され来訪者に色紙に好きな画や文字、文章をその場で揮毫して貰う趣向もある。無料だ。私も書いて頂いたし、特別に大和川次郎さんと言われる漫画家に「漫画似顔絵」を描いて頂いた。しかし、これは顎が二重に描かれており、他の人は私そのものと言われるが、私自身は「もう少し男前に・・・」と思った。
・ 10時に始まりあっと間の4時間で、14時30分過ぎお暇した。大変勉強になった一日でした。収穫は「釋奠」という言葉を知ったこと。「孔子尊像」を拝見できたこと。「お煎茶席」を経験したこと。「神社の祭文」を知ったということ。「宮司は完全にお茶人」であることを再確認したこと。「明治天皇」がお座りになった部屋で私も座ったこと。和服はやはり「白足袋」がきりりと締まって良いということを知った事。以上かな。